このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2015年

柿川緑道〜井月と山頭火〜
indexにもどる

 長岡市旭町の柿川緑道に井上井月と種田山頭火の句碑があるというので、行ってみた。


柿川に架かる追廻橋の上流右岸に井上井月の句碑があった。


島影のさゝぬ日ハなし青簾

昭和63年(1988年)5月、井月会建立。齊藤美規書。

齊藤美規は本名克忠(まさなお)

大正12年(1923年)12月6日、新潟県下早川村(現糸魚川市)に生まれる。

現在、新潟県現代俳句協会会長。

  井上井月 は長岡藩出身といわれており、長岡市には6基の井月句碑があるそうだが、他の句碑はいずれもたやすく行ける所ではない。

追廻橋の下流右岸に種田山頭火の句碑があった。


図書館はいつもひつそりと松の秀

平成3年(1991年)8月、建立。

 裏面は見えないが「長岡の俳友小林銀汀氏宅の二階より若葉ふりそそぐ隣接の互尊文庫を眺めてつくる  昭和11年5月31日作  山頭火短冊による」と覚書が記されているそうだ。

昭和11年(1936年)5月30日、 山頭火 は長岡の小林銀汀氏宅を訪れた。

早く眼は覚めたけれど家人の迷惑を考へて、床の中でぼんやりしてゐる。

二階の別室に閉ぢ籠つて身辺整理。

信濃川産の生鮭はおいしかつた、生れて初めて知つた鮭の味である。

若葉にふりそゝぐ雨の音はよい、隣は図書館、裏は武徳殿、あたりはしづかである。

虹果君来訪、おもしろい人である。

銀汀君と仕事の合間には話す、なつかしい人だ、よきパパであるらしい。

『旅日記』

昭和11年(1936年)6月2日、山頭火は 出雲崎 へ。

昭和14年(1939年)5月3日、山頭火は 井月の墓参 を果たした。

私の旅日記2015年 〜に戻る。



このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください