このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
〜
2012年
〜
新津駅
〜碑巡り〜
JR信越本線新津駅東口下車。
駅前に石塚友二の句碑があった。
月仰ぐ顔に煤降る新津駅 友二
石塚友二(俳人・小説家、1906〜1986)
石塚友二
は、阿賀野市(旧笹神村)の出身である。1924年上京し、辛苦の末小説家・俳人として名をなした。
小説は横光利一に師事し、『松風』で池上信三郎賞を受賞。俳句では
石田波郷
の後を継いで俳誌
『鶴』
の主宰として多くの俳人を育てた。
この句は、つねづね「新津駅は私のふるさとだ」と語っていた友二が帰郷の折、駅に降り立って月を仰いだ時の感慨が詠まれている。
鉄道の町として栄えた新津は、蒸気機関車の煙突から吐き出される煤で洗濯物も外に出されず、空を飛ぶ雀も黒かったという。更には町全体が煙の臭いにみちていた。そんな雰囲気が淡々と表現されており、蒸気機関車全盛時代の姿を彷彿させる作品である。
平成18年(2006年)9月、建立。
新津駅の南に坂口安吾の文学碑があった。
坂口安吾文学碑注釈
表面「あちらこちら命がけ」
これは、安吾が妻美千代に書き与えた安吾直筆の色紙の写しである。安吾の生き方を的確に表現している。
裏面「吹雪物語」
自筆原稿から「新津に汽車が……」の一節が刻まれている。
坂口安吾は、昭和34年、49歳で急逝し、父祖の地で本籍がある市内大安寺に今も眠っている。
私たちは、故郷「新津」を安吾研究の情報発信地、そして安吾に関心を持つ人たちが集い、交流するまち(安吾の町)へと発展することを期待し、この文学碑を建立しました。
新津安吾の会 会長
斎藤久夫
「裏面」は見なかった。
「私の旅日記」
〜
2012年
〜に戻る
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください