このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

翁 塚


泉養寺〜芭蕉塚〜

JR総武線市川駅北口から京成バス「松戸車庫」行きに乗り、栗山で下車。


バス停の手前に 泉養寺 (HP)がある。

栗山のバス停は松戸市、泉養寺は市川市。

医王山泉養寺


天台宗 の寺である。

 慶長年間(1596〜1614)深川の森下1丁目に創建、深川開拓の祖深川八郎右衛門の菩提寺。元禄6年(1693年)6月、深川の猿江村に移転。昭和2年(1927年)、市川に移転。

泉養寺に「芭蕉塚」がある。


 寛保3年(1743年)、芭蕉五十回忌に俳人田中千梅が「芭蕉塚」造立。

爰に僕が弊宅小名木川の五本松ハ翁今昔 川上と此川下や月の友 と屡(ヒタ)舩をさして逍遥せられし所也予幸に亡師遺詠の地を栖とし空(ムナシク)手を懐にして過なんや去年の冬五十回の遠忌をむかへ一夜曉更の千鳥に寐覚して師恩を思ふに堪す一集を選千鳥の恩丹志を運びて則石碑を造立し碑下に彼真蹟を納て今神を招請(テウシヤウ)

『自娯文艸』(巻四)「五本松芭蕉塚碑文」

  『芭蕉庵再興集』 には「延享元子年千梅造立河野氏梅尺屬之」とある。延享元年は1744年。

本所猿江

同会墳又曰五本松塚

天台 泉養寺 境内在 ウラニ 延享元甲子年


 千葉県に現存する最古の「芭蕉塚」である。千葉県で最も古い「芭蕉」の句碑は 笠森観音 にある。

 大正12年(1923年)、 関東大震災 で半ば崩壊。

 上部が欠けていて、中央の「桃青居士」と「感應院」以外は、はっきり読めない。「桃青居士」は「(芭蕉翁)桃青居士」、「感應院」は「(千那律師)感應院」。

 右に「蹟」と見えるのは、「(祖翁逍遙之舊)蹟」、その隣の「之地」は「(千先生旅舎)之地」、下に「方鏡叟千梅造立」、その右に「河野氏梅尺属之」と書いてあるようだ。

  千那 は堅田の本福寺十一世住職明式の俳号。 千梅 は千那の門人、梅尺は千梅の門人。

 「(千先生旅舎)之地」は、千那が五本松に千梅の邸宅「千梅林」逗留したことを指している。

宝永5年(1708年)、千那は千梅の邸宅「千梅林」逗留している。

 市川の泉養寺が芭蕉逍遙の地というわけではない。深川の泉養寺近くにあった 「五本松」 が芭蕉逍遙の地である。

明和6年(1769年)4月15日、千梅は江戸深川で没。享年84歳。

   追 悼

おとろきを袷にぬらす秣かな
   梅尺

   初七日牌前

卯の花の雪の仏と作けり
   梅尺

『なつぼうず』

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