このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
肘折温泉「
優心の宿
観月」
新庄駅より送迎マイクロバスで雪道を揺られること、約1時間。
肱折温泉に着いた。
肘折温泉は開場1200年の歴史を持つ温泉。
今日は肘折温泉
「
優心の宿
観月」
(HP)に泊まる。
送迎マイクロバスはクラブツーリズムの団体客と一緒だったので、早めにお風呂に入る。
内風呂
まだ誰も入っていなかった。
源泉名は組合2号源泉。
泉質はナトリウム−塩化物・炭酸水素塩泉(旧泉質名 含重層・食塩泉)。泉温は87.5℃。pH7.0。
泉温が高いので加水しているが、掛け流しである。
露天風呂
団体客はいたが、いつも空いていてよかった。
温泉街の中にある、共同浴場『上の湯』にも入ってみた。
泉質は違うが、こちらもいい温泉だった。
クラブツーリズムの団体は4泊するという。
肱折温泉は湯治場だから、それくらい泊まるものだろう。
私には堪えられない。
帰りの送迎マイクロバスは2人だけで、申し訳ないようだった。
明治40年(1907年)9月20日、
河東碧梧桐
は肱折温泉を訪れた。
九時半新庄着。陽炎と別れて下車。午後車を命じて肱折温泉を志す。女々鬼山と鳥海山とで挫いた左足を医せんがためである。三里半きて最上川の渡しを越えてから、道は羊腸たる上りになる。湯の台という頂きの原まで三里を上るという。上り詰めた時に、右後ろに富士の形をした鳥海山を望み、右前に牡丹餅を置いたような丸い月山を仰ぐ。鳥海は雲に隔たり、月山は手が届きそうである。
『三千里』
碧梧桐は10月1日まで肱折温泉に滞在して、上山へ。
大正6年(1917年)、河東碧梧桐は再び肘折温泉を訪れている。
肘折温泉
枝豆を買ふ朝毎の山なぞへ見る
『八年間』
昭和22年(1947年)9月、
斎藤茂吉
は肘折温泉を訪れている。
○〔九月肘折温泉にて〕
肘折のいでゆ浴みむと秋彼岸のはざま路とほくのぼる樂しさ
「短歌拾遺」(昭和二十二年)
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