このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

昔の温泉

いわき湯本温泉「旅館こいと」

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 延長5年(927年)の『延喜式神名帳』に「陸奥国磐城郡小七座・温泉(ゆ)神社」とある。これが湯本温泉の最も古い記録だそうだ。

あかずしてわかるる人の住む里はさはこのみゆる山のあなたか

『拾遺和歌集』(詠み人知らず)

 元禄9年(1696年)、天野桃隣は小名浜からいわき湯本温泉を訪れている。

 小名浜ヨリ二里来て湯本アリ。山は権現堂、梺は町家、温泉数五十三、家々の内に有。勝手能諸事自由にて、近国より旅人不絶。


 いわき湯本温泉に公衆浴場「さはこの湯」があるが、 飯坂温泉 にも共同浴場「鯖湖(さばこ)湯」がある。

慶応4年(1866年)、戊辰戦争で湯本村焼失。

 いわき湯本温泉は自噴していたが、明治になって大規模な石炭採掘が始まると自噴しなくなる。

 大正4年(1915年)5月、 野口雨情 は妻ひろと協議離婚。湯本温泉の芸妓置屋「柏屋」の女将明村まちに求婚され、長男雅夫、二女の美晴子を連れて「柏屋」に住む。

大正8年(1919年)には源泉が枯渇する。

 雨情は大正14年から2、3年、いわき湯本で過ごした。いわきの湯をこよなく愛し、たびたび「新つた」を訪れたそうだが、当時温泉は出なかったわけである。

昭和51年(1976年)、炭坑閉山に伴い、新源泉から揚湯に成功。

「旅館こいと」 (HP)のお風呂に入ることにする。

日帰り入浴は800円。

トンネルを抜けて離れの温泉棟へ。

大浴場


源泉名は、いわき湯本温泉 湯本温泉源泉。

 泉質は含硫黄−ナトリウム−塩化物・硫酸塩温泉(低張性弱アルカリ性高温泉)。PH8.1。泉温は59.0℃。

湧出量は毎分4,750リットル。

掛け流しである。

露天風呂


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