このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
昔の温泉
上山温泉「
日本の宿
古窯」
鳥海山
から鳥海ブルーラインを下り、国道7号線(おばこおけさライン)へ。
国道7号線(おばこおけさライン)から県道59号酒田八幡線を経て、酒井みなとICで山形自動車道に入る。
山形JCで東北中央自動車道に入る。
山形上山ICから国道13号へ。
国道13号を右折して国道458号(羽州街道)を行くと、上山温泉新湯がある。
上山温泉には、今から550年前1羽の鶴が舞い降り、脛の傷を癒して元気に大空に飛んでゆくのを見た旅の僧侶が発見したという鶴伝説があるそうだ。
上山温泉新湯地区を過ぎて、さらに国道458号(羽州街道)を行くと、上山温泉葉山地区。
葉山地区に
「
日本の宿
古窯(HP)」
がある。
上山温泉「
日本の宿
古窯」
「
プロが選ぶ旅館100選
ベスト10」に20年連続ランクインしているそうだ。
明治40年(1907年)10月2日、
河東碧梧桐
は上山の宿から蔵王山を見ている。
宿の二階から龍山も蔵王山もよく見える。蔵王の地蔵岳刈田岳もあれであろうと思われるような高さに見える。鉱山の跡のような、赫黒い、木の焼焦げを爪で掻きむしったような色も鮮やかじゃ。高湯から峨々に越えたのも、ちょうど一月後のきょうであったと追懐する。高湯は空気まで硫黄臭い猛烈な湯であった。蔵王山中の瑠璃の池は他に見るべからざる奇色であった。
『三千里』
部屋の窓から蔵王が見える。
昭和28年(1952年)6月22日、水原秋桜子は上山温泉を訪れている。
二十三日朝、上ノ山温泉にて
日輪が滴り梅雨の蔵王立つ
『帰心』
まず、家族風呂に入る。
家族風呂
蔵王を望む露天風呂である。
源泉名は上山温泉3号源泉。
泉質はナトリウム・カルシウム−塩化物・硫酸塩温泉。泉温は64.5℃。
夕食後、1階の紅花風呂へ。
夜なので、うまく撮れなかった。
朝は8階の大浴場蔵王
露天風呂
「
日本の宿
古窯」に宿泊した著名人の楽焼きが廊下に展示されている。
数ある楽焼きの中に
斎藤茂吉
(1882−1953)のものを見付けた。
黒林のなかに入りゆくドウナウはふかぶかとして波さえたたず
大正11年(1922年)、茂吉訪欧の時の歌であろう。
昭和28年(1953年)2月25日、茂吉は70歳で亡くなる。茂吉の長男、齋藤茂太氏が書いたものだそうだ。
北杜夫の楽焼きもあった。
「
日本の宿
古窯」の駐車場に行くと、進藤一考(1929−1999)の句碑があった。
郭公の千年ほどの遠さかな
昭和57年秋
「人」という同人誌の弥栄を祝して建立す
進藤一考
進藤一考は神奈川県生れ。角川書店の創始者である角川源義に師事、「河」を継承主宰したが、昭和54年には「河」の主宰が角川照子に移った。
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