このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

昔の温泉

塩の湯温泉「明賀屋本館」

「湯めぐり手形」のスタンプはあと3つ。


ところが最後の難関は塩釜温泉「 ホテル塩原ガーデン(HP) 」。

 「湯めぐり手形」では「ホテル塩原ガーデン」の入浴可能時間は午後5時から。午後5時からお風呂に入ったのでは、帰るのが大変だ。

ということで、塩の湯温泉「明賀屋本館」に泊まることにする。

 私にとって塩原温泉郷は日帰り圏内。まっすぐ行ったのでは早く着き過ぎる。 「芭蕉の里」黒羽 に行く。

国道400号で塩原温泉郷へ。


まず門前温泉「 山口屋旅館 」に行く。

 塩原温泉旅館協同組合(観光協会内)に立ち寄って、翌日の営業時間を確かめておく。今日中に「湯めぐり手形」のスタンプを全部集め、明日印籠を手にしてお風呂に入ってみようと思ったからだ。

次に古町温泉「 ホテル深山荘 」へ。

 「湯めぐり手形」のスタンプも「ホテル塩原ガーデン」を残すだけ。「ホテル塩原ガーデン」の入浴可能時間は午後5時から。

とりあえず、「 明賀屋本館(HP) 」へ。

創業延宝2年(1674年)という伝統の宿。

 大正2年6月15日、東洋大学の創設者 井上円了 は塩原温泉を訪れて福渡温泉「桝屋旅館」に泊まり、17日に明賀屋で入浴している。

 17日 晴れ。福渡より18丁離れたる所に塩泉あり、これを塩の湯と称す。塩釜より渓橋を渡り、小渓をさかのぼること10丁にしてこれに達すべし。旅館は明賀屋を第一とし、これに次ぐものは玉屋、柏屋なり。この日、明賀屋を訪うて入浴す。

「塩原紀行」

若女将が出迎えてくれた。別に私だけを出迎えてくれたわけではないが。

「湯めぐり手形」では「明賀屋本館」のお風呂に入れない。

とりあえず、川岸露天風呂に入る。

 浴場は渓流の岸頭にあり、客楼より梯階を下ること数十段にしてこれに達す。浴場にて渓流を対観するところ、積翠まさに滴らんとし、幽邃実に掬すべくして最も風致あり。

「塩原紀行」

川岸露天風呂は鹿股(かのまた)川の川岸にある。

鹿股川


まだ時間が早いので、誰も入っていないと思ったら、1人だけ入っていた。

浴槽は4つあるので、誰も入っていない浴槽の写真を撮ってみた。


源泉の泉温は69.0℃だが、この浴槽のお湯は適温。

お湯は鼠色に濁っている。

泉質は含炭酸・ホウ酸弱食塩泉(緩和性低張高温泉)。PH5.9。

 「緩和性」とは刺激が弱く疲れがとれる温泉のこと、「低張」とは人間の細胞液より浸透圧の低い温泉。

 湧出量は毎分289.0リットルと豊富。もちろん掛け流しで、お湯はそのまま鹿股川に流れる。

川縁の2つの浴槽は、1つは温く、もう1つは火傷しそうに熱かった。

川岸露天風呂は終日混浴。老夫婦がやって来た。

 いよいよ「 ホテル塩原ガーデン 」に行くことになるが、その前に「 ホテル明賀屋 」と「 山水荘 」のお風呂に入ることにする。

塩釜温泉「ホテル塩原ガーデン」から塩の湯温泉「明賀屋本館」戻る。

夕食後、貸切露天風呂に入る。


貸切露天風呂は狭いので、写真も明るく撮れた。

外は暗くて何も見えない。

貸切露天風呂から再び川岸露天風呂へ。

誰もいなかった。

今度は川縁の2つの浴槽の写真を撮ってみた。


 先ほど手前の浴槽は火傷しそうに熱かったが、今度はやや熱めで、何とか入れた。

大浴場「太古の湯」に入ったが、こちらは何人か入っていた。

朝起きて、再び貸切露天風呂へ。


貸切露天風呂は2つあるので、今度は奥の貸切露天風呂に入ってみる。

同じような浴槽だが、やはり明るい方がいい。

川岸露天風呂は通常混浴なのだが、朝6時から8時までは女性専用。

8時を過ぎてから、みたび川岸露天風呂に行く。

前に若い女性の姿が見える。連れの若い男がいるようだ。

2人は脱衣所の所で何か困っているようだった。

若い女性は「貸切露天風呂はどこですか?」と私に聞いた。

 私は「そんなこと言わずに、一緒に入りましょう。」とは言わず、親切に教えてあげた。

 脱衣所に服が脱いであったから、誰か入っているのかと思ったら、誰も入っていなかった。

おじさんが着替えて掃除をしている。

 「毎日お湯を抜いて掃除をするのですか?」と聞くと、毎日浴槽を2つずつ掃除するということだった。

火傷しそうに熱かった浴槽


手前のホースから水が出て、今日はちょうどいい湯加減だった。

「明賀屋本館」の隣に「柏屋」がある。


 昭和8年(1933年)9月、 高村光太郎 と智恵子は東北旅行の最後で「柏屋」に泊まった。塩原温泉には10日以上も滞在したそうだ。塩原温泉は2人が旅した最後の地となった。智恵子の病状が悪化した為である。

「明賀屋本館」の北側に廃屋がある。


廃業した「玉屋旅館」の跡である。

現在は塩釜温泉 「ホテル塩原ガーデン」 として営業している。

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