このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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昔の温泉

高遠温泉「高遠さくらホテル」

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高遠に温泉があると知って、行ってみることにした。


七人が織りなす「虹のかけ橋」


市内みはらしファーム「草の家」の皆さんの作品です。

大浴場


生島の湯 由来

 生島とは江戸幕府七代将軍家継の時代を代表する人気歌舞伎役者で、大奥の風紀粛清事件であった絵島事件の密会の相手として疑われ、三宅島に遠流されました生島新五郎の名前です。

 大奥お年寄りであった絵島が、前将軍の墓参り代参後、生島を招いて宴を開いた事により帰城が遅れ大事件となり、絵島は此処高遠藩へ遠流、□前の高遠湖対岸にあります。お囲屋敷で28年間の生涯を閉じました。生島は後に八代将軍吉宗に赦免され、江戸小網町にて73歳で没したと言われています。美人の湯と謳われる高遠のお湯を時空を超えた歴史絵巻と共にお楽しみくだされば幸いです。

露天風呂


さくらの季節でもないので、空いていた。

源泉名は「高遠温泉」。

泉質はアルカリ性単純温泉。泉温は27.8℃。

部屋の窓から見た高遠湖


高遠城址 が見える。

大正15年(1926年)11月8日、 斎藤茂吉 は絵島の墓を訪れている。

   高遠

      十一月八日信濃國高遠町に繪島の墓を弔ふ

あはれなる流されびとの手弱女(たわやめ)は媼(おうな)となりてここに果てにし

みすずかる信濃の國の高遠にかなしき墓を吾も見つるかも

『ともしび』

淡島千景の歌碑があった。


さくら陰遠く絵島忍ぶれば散りゆく花もいとも悲しき

平成17年(2005年)4月、建立。

松竹映画「絵島生島」をはじめ数多くの舞台で絵島を演じました。

「絵島生島」は東京新聞に連載された舟橋聖一の小説。

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