このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記

小城駅〜与謝野寛(鉄幹)晶子夫妻の歌碑〜
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 JR唐津線小城駅前に 与謝野寛(鉄幹)晶子夫妻の歌碑 があるというので行ってみた。

小城駅


駅前に与謝野寛(鉄幹)晶子夫妻の歌碑があった。


またもなき人の子の父歌の人

   われに優しき友なる博士
   与謝野晶子

肥の国の三日月村はひしの花

   こもの花咲き母老いませり
   高田保馬

思へども肥前の小城はなほ遠し

   門司の港のかかり船より
   与謝野寛

平成16年(2004年)12月14日、建立。

  与謝野寛(鉄幹)晶子 御夫妻が昭和3年、中国への旅の途中、高田保馬博士を思い歌った短歌です。

 私達郷土の偉人高田保馬博士(明治16・12・27〜昭和47・2・2)は、小城郡三日月村遠江の生まれで、世界的社会学者、近代経済学者であり、文化功労者、宮中御歌会の召人、正三位勲一等瑞宝章に輝く文学博士です。又、与謝野寛・晶子の東京新詩社に参加し、機関誌「明星」に復刊に貢献されました。

 「小城駅」は、明治36年唐津線開通時に誕生しました。昭和62年4月、日本国有鉄道が九州旅客鉄道株式会社に組織替えした時、小城町上町、小栁平次郎氏が、小城駅前に木製歌碑を建立されました。

 平成15年12月14日「小城駅」が百周年を迎えた記念として広く浄財を募り、木製歌碑の歌を写した石造陶板の歌碑を新しく建立いたしました。

明治43年(1920年)、高田保馬は新詩社に入社。

大正11年(1924年)11月、母に死別する。

大正13年(1924年)2月、慢性胃潰瘍療養のため帰郷。

大正14年(1925年)、中島哀浪に師事する。

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