このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記

廣厳寺〜山頭火の句碑〜
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松浦鉄道金武駅下車。


伊万里市二里町大里乙に廣厳寺という寺がある。


醫王山 廣厳寺

 当寺は、福井県 永平寺 と横浜市 総持寺 を両本山とする 曹洞宗 の古禅刹です。ご本尊は、瑠璃光薬師如来尊で歴史は古く、青幡神社の古文書や平戸藩國字傳には「平安時代の大治2年(1127年)松浦党党祖・源久公が氏寺とした」と書かれている。

 一方、小城町の雲海山岩蔵寺の文書には、「永徳元年(1381年)五十世賢鎮法印、有田郷の広厳寺を建立」と記録されている。また地元の伝承では、天正20年(1592年)秀吉の命令で山ノ寺総持寺は焼打ちににあい、住職の不鉄桂文和尚は弟子とともに有田郷に逃れ、有田丹後守盛公を頼られた。守盛は不鉄和尚らを匿い、腰岳中腹(古子集落の地)に総持寺を建立して、その開山を手助けしている。

 山の寺は腰岳総持寺(後の広厳寺)の寺領として、明治4年まで管理するとともに、祭祀も行なってきた。この祭祀の伝統は最近まで続いていた。

 寛永初年の太田守桂大和尚(山ノ寺総持寺不鉄桂文和尚の高足)第一世とし、現住職弘海和尚を第二十四世とする檀信徒630戸余を有する由緒ある曹洞宗の寺院である。

本堂の右手に山頭火の句碑があった。


てふてふひらひらいらかをこえた

昭和11年(1936年)7月4日、 種田山頭火永平寺 を訪れ、参籠している。

   永平寺

てふてふひらひらいらかをこえた

水音のたえずして御仏とあり

山のしづかさへしづかなる雨

『旅日記』(七月十九日)

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