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私の旅日記
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2013年
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大光寺
〜「弁慶水鏡の池」〜
さいたま市岩槻区長宮に大光寺という寺がある。
鐘楼の前に「蘭陵門人碑」があった。
白露二日
蓮の実や飛そこねてもにしの方
耳順蘭陵書画
碑 陰
亡父蘭陵は若年より書画風流の道をたのしミ、あたりの童子を集め其教ためなりしか、いつとなく例ならす、終には久斜の葉のつゆと消ゆるハ、誠に乳房顔ふく赤子の如く思ふ折から、門弟子訪行来と居士のふつかし置れし自画の像をいしに彫て、永く後世に残さむ事残すらむ。その志の深きを辞するにもあらされは、倶に修造すものとはなりぬ。
于時天保九
戌
年八月
長ミや
如構しるす
蘭陵は葛飾派の俳人。長宮の金子三右衛門。芳堂。
天保8年(1837年)、8月2日、没。
花林山回向院大光寺
真言宗智山派
の寺である。
文安4年(1447年)3月、祐真和尚の開山と伝えられる。
文明6年(1474年)銘の鰐口は、岩槻の渋江鋳物師によって鋳造されたもの。
元文3年(1738年)3月22日、山崎北華は江戸を立ち『奥の細道』の足跡をたどり、松島を訪れる。23日、大光寺の「弁慶水鏡の池」を見た。
明れば岩附の城下。長宮といふに。知る人ありて尋ね行く。主案内して。淨國寺。久尹豆。
慈恩寺
。大光寺。などいふを見歩く。大光寺に。昔
義經
。奥州下向の時。辨慶が水鏡見し池が有り。其傍に柳の大木が有り。辨慶此池に姿をうつし見。楊枝を爰にさしたるが。根のつきて如此といふ。斯る事は。國々に云傳へたる事多けれども。させる證も無き事のみ多し。更に眞とも思ひなさず。
『蝶之遊』
おっぽり沼
「弁慶水鏡の池」は「おっぽり沼」の北側にある池と言われている。
地元の古老は、「聞いたことがない。」と言っていた。
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