このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2008年
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勝願寺
〜芭蕉忌千句塚〜
鴻巣市本町に勝願寺という寺がある。
浄土宗
の寺院で、関東十八檀林のひとつ。
文禄2年(1593年)、
徳川家康
は鴻巣で
鷹狩
を行い、勝願寺を訪れているそうだ。
勝願寺仁王門
大正9年(1920年)再建。
安永10年(1781年)1月19日、平橋庵敲氷は勝願寺に参詣している。
けふハ御忌なれは何かし勝願寺 に詣つ。関の東の十八檀林とかや。木立物ふりて鉦の音すミワたりぬ。眠り覚たらん人ほと念仏せよと、祖師のしめし給ひし事おもひ出られて
念仏にも眠らは眠れ春の雨
氷
『埼玉紀行』
本堂前の八重桜
明治24年(1893年)、本堂再建。
本堂の左に「芭蕉忌千句塚」があった。
芭蕉忌千句塚
右に芭蕉の句。
けふはかり人も年よれ初時雨
出典は
『續猿蓑』
。
元禄5年(1692年)10月3日、赤坂彦根藩邸中屋敷で開かれた五吟歌仙の発句。
裏に柳几の句が刻まれている。
碑面蕉翁の吟にて
夕暮をこらえこらえて初時雨
天明7年(1787年)、勝願寺住三十世仁譽代建立。
江戸期の俳人
横田柳几
本名を横田三九郎盛英(8代目)といい、享保元年(1716年)鴻巣宿に生まれました。家業は歴代酒造業を営む旧家で、元の石橋町(現本町6丁目)にありました。若くして俳諧を学び、初め伊勢派の中川乙由の門に入りますが、後にその高弟
佐久間柳居
に師事し、布袋庵柳几と号しました。生涯を通じて旅を好み、多くの紀行文を残しています。
宝歴13年(1763年)、芭蕉翁70年忌にあたり追善興業として布袋庵に20余名が集まり、1日千句の吟を行っています。そして、天明7年(1787年)には、その千句を壺に納め、菩提寺の勝願寺に「芭蕉忌千句塚」を建立しています。
編著に『筑紫紀行』『百花集』『大和耕作集』などがありますが、多くは明和4年(1767年)の「振り袖火事」で布袋庵も類焼し、多くの作品が失われてしまったようです。
天明8年(1788年)没。享年73歳。墓地(埼玉県指定旧跡)は本町勝願寺にあります。
辞世の句
老らくの寝こゝろもよし春の雨
「こうのす議会だより」(第27号)
「芭蕉忌千句塚」の左に笠島庵春友辞世の句碑がある。
紫陽花や人の寄るのもおもしろき
笠島庵春友は鴻巣の人。戯作者為永春水の門人。俳諧を小築庵春湖に学ぶ。
明治31年(1898年)6月25日、74歳で没。
鴻巣公園に躑躅
(つつじ)
が咲いていた。
鴻巣公園は勝願寺の学寮が置かれた場所である。
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