このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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種田山頭火の旅

兼崎地橙孫の句碑

虹の孤に故郷の山河収めけり

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下関市立美術館 から国道9号を長府観光会館まで歩く。

長府観光会館で自転車を借りる。

長府観光会館に兼崎地橙孫の句碑があった。



虹の孤に故郷の山河収めけり

 明治23年(1890年)3月27日、地橙孫は徳山藩士・兼﨑昌司(号・橙堂)を祖父にもち、父・茂樹(号・地外)の長男として山口市に生まれた。

 「地橙孫」という俳号は、父と祖父の号から一字ずつ「地」「橙」をとり、それに「孫」をつけたものだそうだ。

 昭和5年(1930年)11月22日、種田山頭火 は兼﨑地橙孫宅を訪ねている。

二時過ぎまで行乞、キス一杯の余裕あるだけはいたゞいて、地橙孫さんを訪ねる、不在、奥さんに逢つて(女中さん怪訝な顔付で呼びにいつた)ちよつと挨拶する、白状すれば、昨春御馳走のなりつぱなしになつてゐるし、そのうへ少し借りたのもそのまゝになつてゐる、逢うて話したいし、逢へばきまりが悪いし、といつてこゝへ来て黙つてゐることは私の心情が許さないし、とにもかくにも地橙孫さんは尊敬すべき紳士である、私は俳人としてゞなく、人間として親しみを感じてゐるのである。

『行乞記(一)』

長府藩武家屋敷 へ。

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