このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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種田山頭火の句碑

霧島は霧にかくれて赤とんぼ

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都城市高崎町大牟田に吉都(きっと)線の高崎新田駅がある。

大正2年(1913年)5月11日、開業。

駅前の団地に山頭火の句碑があった。


霧島は霧にかくれて赤とんぼ

平成15年(2003年)3月、建立。

高崎新田駅前団地(花筏団地)の完成にあたり、この記念として高崎町を訪れ、陣屋に宿泊した漂泊の俳人山頭火の歌碑(ママ)をここに建立する。

 昭和5年(1930年)9月21日、 種田山頭火 は高原駅から高崎新田駅に着いた。

 九月廿一日 曇、雨、彼岸入、高崎新田、陳屋(四〇・上)

九時の汽車で高原へ、三時間行乞、そして一時の汽車で高崎新田へ、また三時間行乞。

高原も新田も荒涼たる村の町である、大きな家は倒れて住む人なく、小さい家は荒れゆくまゝにして人間がうようよしてゐる、省みて自分自身を恥ぢ且つ恐れる。

   霧島は霧にかくれて赤とんぼ

   病人連れて秋雨のプラツトホーム

霧島は霧にかくれて見えない、たゞ高原らしい風が法衣を吹いて通る、あちらを見てもこちらを見ても知らない顔ばかり、やつぱりさびしいやすらかさ、やすらかなさびしさに間違いない。

此宿は満員だといふのを無理に泊めて貰つた、よかつた、おばあさんの心づくしがうれしい。


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