このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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種田山頭火の句碑

是が河豚かとたべてゐる

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中津市中津市枝町に料亭「筑紫亭」がある。


玄関の前の小庭に山頭火の句碑があった。


是が河豚かとたべてゐる

 昭和5年(1930年)11月16日、 種田山頭火 は筑紫亭の句会で初めて河豚を食べた。

 十一月十六日 曇、句会、今夜も昧々居の厄介になつた。

しぐれ日和である(去年もさうだつた)、去年の印象を新らたにする庭の樹々——山茶花も咲いてゐる、八ツ手も咲いてゐる、津波蕗もサルピヤも、そして柿が二つ三つ残んの実を持つたまゝ枯枝をのばしてゐる。

朝酒、何といふうまさだらう、いゝ機嫌で、昧々さんをひつぱりだして散歩する、そして宇平居へおしかけて昼酒、また散歩、塩風呂にはいり二丘居を訪ね、筑紫亭でみつぐり会の句会、フグチリでさんざん飲んで饒舌つた、句会は遠慮のない親しみふかいものだつた。

 これが河豚かと食べてゐる(筑紫亭句会)

・河豚鍋食べつくして別れた(   〃   )


 昭和13年(1938年)3月15日、山頭火は 中津 の木村宇平宅を訪ねている。

 昭和50年(1975年)11月16日、土生秀夫亭主・有志建立。 荻原井泉水 揮毫。

 『山頭火句碑集』(防府山頭火研究会)によれば、16番目の山頭火句碑である。

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