このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2012年

「家族(長政とお市)」の像〜芭蕉の句碑〜
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長浜市内保町に長浜市浅井支所がある。


長浜市浅井支所の向かいに「家族(長政とお市)」の像があった。


家族(長政とお市)

町名の由来となった戦国武将 浅井長政。

その妻・お市の方との生涯は400年の時を越えて悲劇の物語りとして浅井の地に語り継がれています。しかし、姉川合戦まで2人には4人の子供達との幸せな日々がありました。

短い幸せだったからこそ、家族への愛は永遠に輝いています。

2006年2月13日、浅井町は長浜市、びわ町と合併し長浜市となった。

内保町に特別養護老人ホーム福良荘がある。


福良荘の庭に芭蕉の句碑があった。


ちゝはゝの頻りに戀し雉子の聲

出典は 『笈の小文』

貞亨5年(1688年)春、芭蕉が 杜国 と高野山を訪れて詠んだ句。

内保町の旧家にも芭蕉の句碑があるというので、訪ねてみた。

旧家の庭に芭蕉の句碑があった。


古池や蛙とびこむ水の音

出典は『蛙合』(仙化編)。

貞亨3年(1686年)春、 深川芭蕉庵 で詠まれた句。

芭蕉43歳の時である。

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