このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2012年

龍ヶ丘俳人墓地〜「經塚」〜
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大津市馬場1丁目の国道1号沿いに「龍ヶ丘俳人墓地」がある。


龍ヶ丘俳人墓地


 大津市指定文化財

 墓地には、俳聖松尾芭蕉の門下十哲の一人丈艸の名を刻んだ小さな自然石の墓を中心に、これを囲んで、まるで句座でも開いているような格好で芭蕉門下の俳人17人が眠っています。

 17人の俳人墓石には、丈艸のほかに正秀・巴静・雲裡・梅宜・祐昌・可風・文素らの墓があります。

 俳人墓地は、もともと俳聖松尾芭蕉が眠る 義仲寺 の寺領であり、竹藪や雑木林の広がる静かな地でしたが、今日、国道1号線を走る車の騒音に終日覆われ、昔のおもかげを伝えるものは、すっかりなくなりました。

 昭和40年(1965年)5月に大津市の指定文化財になりました。

大津市教育委員会

「丈艸佛幻庵址」


元禄9年(1696年)、 内藤丈草 は仏幻庵を結ぶ。

「經塚」


元禄16年(1703年)12月8日、沙門丈草建立。

「丈艸」


元禄17年(1704年)2月24日、内藤丈草没。

「正秀墓」


享保8年(1723年)8月3日、 水田正秀 没。

「東華坊」


享保16年(1731年)2月7日、 東華坊支考 没。

山住興雲


正風三世

「巴靜碑」


寛保4年(1744年)2月19日、太田巴静没。

「雲裡坊」


正風五世

宝暦11年(1761年)4月27日、 渡辺雲裡坊 没。

明和2年(1765年)、蓑笠庵梨一は龍ヶ丘の丈艸の墓に詣でている。

   龍か岡に登り丈艸の墓に詣て生前の剛毅を感す

梅の実やかんはしき名を刺こほし


「可風・文素」


明和4年(1767年)秋、北川可風歿。

明和5年(1768年)8月、北川文素歿。

「蝶夢法師」


寛政7年(1796年)12月24日、 五升庵蝶夢 没。

 粟津里竜が岡 に、松杉鬱たる岡の堂とて、丈艸法師のすみ給へる菴のありしが、それはいつしか破れはてぬ。そのあとに、無名菴の俤とてかたのごとくの庵をうつしたる。それさへ人の住あらして、いまはやぶるゝばかりにみゆ。かの法師の古塚のこゝにありと聞はべりて吊ひけるになし。里人のいふ。「三年四年のきのふにかあらむ、あれなる岡の上にうつしぬ」といふ。往て見るに、正秀・東花坊・雲裏・巴静が徒の碑にとなりて、一木だになくあらはなり。隠るゝはこの法師が性素なるに、あらはなるはあはれなり。あはれなるはけふのありさまなりとて、泣もまたあはれ也。

   冬がれや野にたつ草に鳥とまる


森谷祐昌


正風八世

矢島蟻洞


正風十二世

寺崎方堂


正風十八世

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