このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
正岡子規の句碑
西山に櫻一木のあるじ哉
松山市南江戸5丁目に山内神社がある。
参道の石段右手に正岡子規の句碑があった。
西山に櫻一木のあるじ哉
『寒山落木』
(明治二十五年 春)に「山内神社」とある。
享保17年(1732年)の大飢饉で松山に多くの餓死者が出たとき、江戸詰めであつた松山藩主松平定英は、幕府から施政不行き届きのかどで謹慎を命じられた。目付役山内与右衛門は主君の命で飢饉実状を報告したが、定英公は国元の不始末を苦にして急逝した。与右衛門は享保18年12月5日味酒村長久寺で切腹。10年後、彼の忠誠は認められ知行を回復した。文化11年(1814年)時の藩主松平定通は与右衛門の忠義たたえて山内神社を建てた。与右衛門を「桜一木」に託した子規明治25年の句で、子規の文字を集めて構成した。昭和44年に建立。
松山市教育委員会
俳句の里 松山
正岡子規の句碑
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