このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
2019年の旅日記
森鴎外記念館
〜森鴎外之像〜
森鴎外旧宅
から森鴎外記念館へ。
森鴎外記念館に「
森鴎外
之像」があった。
明治43年(1910年)2月13日、河東碧梧桐は津和野を訪れている。
津和野藩時代から今日まで、産物としても、また人物としても、さまで誇るに足るもののない中に、単
(ひと)
り鴎外博士の在るのを異数とすべきである。明治文壇の先駆者として、早くより重きをなしながら、他の多くの人が凋落し、老衰し単に空名を擁するのとは全く趣を異にして、依然として現時の第一者流と仰がるる、兎も角も過去の人でなくて、現在の活働者たるを敬仰すべきである。津和野の町は年々戸数を減ずるほど寂れつつあるとしても、一人の鴎外博士あれば、もって天下に気を吐くに足るなど語った。
『続三千里』
津和野城が見える。
西周旧居
へ。
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