このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
|
下 町
・
文京区
団子坂〜『三四郎』〜
東京メトロ千代田線千駄木駅から団子坂を上る。
坂の途中に文京区教育委員会の案内板がある。
団子坂
文京区千駄木2丁目と3丁目の境
七面坂、千駄木坂、七面坂の別名がある。
「千駄木坂は千駄木御林跡の側、千駄木町にあり、里俗団子坂と唱ふ云々」
(御府内備考)
「団子坂」の由来は、坂近く団子屋があったともいい、悪路のため転ぶと団子のようになるからともいわれている。また、『御府内備考』に七面堂が坂下にあるとの記事があり、ここから「七面坂」の名が生まれた。「七面坂」は坂上から東京湾の入江が望見できたためと伝えられている。
幕末から明治にかけて菊人形の小屋が並び、明治40年頃が最盛期であった。また、この坂上には
森鴎外
、
夏目漱石
、
高村光太郎
が居住していた。
−郷土愛をはぐくむ文化財−
東京都文京区教育委員会 平成10年3月
『御府内備考』は江戸の地誌。文政12年(1829年)完成。
明治32年(1909年)、
正岡子規
は団子坂を句に詠んでいる。
團子阪
菊園に天長節の國旗哉
『俳句稿』(明治32年)
「団子坂」と「菊人形」は
夏目漱石
の『三四郎』に出ている。
ある日の午後三四郎は例のごとくぶらついて、団子坂の上から、左へ折れて千駄木林町の広い通りへ出た。
『三四郎』(四)
千駄木林町
は
高村光太郎
が居住していた所。
坂下では菊人形が二、三日前開業したばかりである。
『三四郎』(四)
下 町
・
文京区
に戻る
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
|