このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2008年
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学習院大学
〜芭蕉の句碑〜
清土鬼子母神
から目白通りに戻り、学習院大学へ。
北別館
明治42年(1909年)、図書館として建てられた。
西5号館
学内で一番新しい建物。煉瓦造りのエントランスが美しい。
乃木館
明治41年(1908年)8月、学習院が東京府東京市四谷区尾張町(現:東京都新宿区四谷)から東京府北豊島郡高田村(現:東京都豊島区目白)に移転した時に建てられた。
第10代院長乃木希典は、この建物で学生と寝食を共にした。
富士見茶屋跡に芭蕉の句碑があった。
目にかゝる時や殊更五月富士
出典は
『芭蕉翁行状記』
(路通編)。
文化7年(1810年)、雑司ヶ谷の俳人金子直徳(宗周)建立。
直徳は二世白兎園広岡宗瑞の門弟。俳号は宗周。
高田新田 富士見坂
ニ
在
富士見塚
目にかゝる時や殊更五月富士
『広茗荷集』
血洗の池
堀部(中山)安兵衛が高田馬場で伯父の仇討ちをした帰り道、この池で血の付いた刀と着物を洗ったという。
大正から昭和の初め頃、学生の間に出来た伝説らしい。
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