このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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かねやす〜本郷もかねやすまでは江戸の内〜
筐底(きょうてい)にわがいつの日の寒紅ぞ 淡路女
淡路女さんのような古い女流でも「わがいつの日の」というほど、寒中の丑の日につくった紅を寒紅といって喜んで用いたのは、おそらく大正までであろう。本郷の「かねやす」にはもちろん、どこの小間物屋でも、貝や盃入りの玉虫色に光る小町紅を売っていた。
東京メトロ丸ノ内線本郷3丁目を下りる。
森鴎外
の小説『青年』冒頭で、「小泉純一」が歩いた道である。
小泉純一は芝日蔭町の宿屋を出て、東京方眼図を片手に人にうるさく問うて、新橋停留場(ていりゅうば)から上野行の電車に乗った。目まぐるしい須田町の乗換も無事に済んだ。さて本郷三丁目で電車を降りて、
追分
から高等学校に附いて右に曲がって、
根津権現
の表坂上にある袖浦館という下宿屋の前に到着したのは、十月二十何日かの午前八時であった。
『青年』
国道17号(中山道)と国道254号(春日通り)の交差点に「かねやす」がある。
かねやす
兼康祐悦という口中医師(歯科医)が乳香散という歯磨き粉を売り出した。大変評判になり、客が多数集まり祭りのように賑わった。(『御府内備考』による)
享保15年大火があり、防災上から町奉行(大岡越前守)は3丁目から江戸城にかけての家は塗屋(ぬりや)・土蔵造りを奨励し、屋根は茅葺を禁じ瓦で葺くことを許した。江戸の町並みは本郷まで瓦葺が続き、それからの中仙(中山)道は板や茅葺きの家が続いた。 その境目の大きな土蔵のある「かねやす」は目だっていた。
「本郷もかねやすまでは江戸の内」と古川柳にも歌われた由縁であろう。
−郷土愛をはぐくむ文化財−
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