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下 町
其角住居跡
営団地下鉄日比谷線茅場町を出ると、名所・旧跡案内があった。
「其角住居跡」があったので、行ってみた。
其角住居跡
蕉門十哲のひとり宝井其角(1661〜1707)は俳諧の巨匠として芭蕉没後派手な句風で、洒落風を起こし、その一派は江戸座と呼ばれた。
「虚栗」
、
「花摘」
、「枯尾花」など句集を遺した。
近江国膳所藩御殿医竹下東順の長男として生まる。
貞亨4年(1687年)10月11日、其角亭 で芭蕉の送別句会する。
神無月の初、空定めなきけしき、身は風葉の行末なき心地して、
旅人と我名よばれん 初しぐれ
又山茶花を宿々にして
岩城の住、長太郎と云もの、此脇を付て其角亭におゐて関送リせんともてなす。
『笈の小文』
母方の榎本姓を名乗っていたが、宝井と改める。
茅場町薬師堂の辺
(あたり)
なりと云ひ伝ふ。元禄の末ここに住す。即ち終焉の地なり。
按ずるに、「梅の香や隣は荻生惣右衛門」といふ句は、其角翁のすさびなる由、普
(あまね)
く人口に膾炙す。依つてその可否はしらずといへども、こゝに注してその居宅の間近きをしるの一助たらしむるのみ。
『江戸名所図会』
(俳仙宝晉斎其角翁の宿)
宝永4年(1707年)2月29日、其角没。
江東区森下の
長慶寺
に其角の墓がある。
文化3年(1806年)2月29日、其角百年忌。
廿九日 雨 其角百年忌
春の風草にも酒を呑すべし
『文化句帖』(文化3年2月)
其角は酒飲みとして知られている。
十五から酒をのみ出てけふの月
『五元集』
其角の住まい近くに茅場町薬師があった。
文化5年(1809年)4月8日、一茶は松井と茅場町薬師に灌仏参。
八日 晴 松井と灌仏参
藤棚もけふに逢けり花御堂
『文化句帖』(文化5年4月)
4月8日は、灌仏会。
松井
は日本橋久松町の人。
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