このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

下 町
indexにもどる

其角住居跡

営団地下鉄日比谷線茅場町を出ると、名所・旧跡案内があった。

「其角住居跡」があったので、行ってみた。


其角住居跡


 蕉門十哲のひとり宝井其角(1661〜1707)は俳諧の巨匠として芭蕉没後派手な句風で、洒落風を起こし、その一派は江戸座と呼ばれた。 「虚栗」「花摘」 、「枯尾花」など句集を遺した。

近江国膳所藩御殿医竹下東順の長男として生まる。

貞亨4年(1687年)10月11日、其角亭 で芭蕉の送別句会する。

 神無月の初、空定めなきけしき、身は風葉の行末なき心地して、

旅人と我名よばれん 初しぐれ

   又山茶花を宿々にして

 岩城の住、長太郎と云もの、此脇を付て其角亭におゐて関送リせんともてなす。


母方の榎本姓を名乗っていたが、宝井と改める。

茅場町薬師堂の辺(あたり)なりと云ひ伝ふ。元禄の末ここに住す。即ち終焉の地なり。

按ずるに、「梅の香や隣は荻生惣右衛門」といふ句は、其角翁のすさびなる由、普(あまね)く人口に膾炙す。依つてその可否はしらずといへども、こゝに注してその居宅の間近きをしるの一助たらしむるのみ。

『江戸名所図会』 (俳仙宝晉斎其角翁の宿)

宝永4年(1707年)2月29日、其角没。

江東区森下の 長慶寺 に其角の墓がある。

文化3年(1806年)2月29日、其角百年忌。

   廿九日 雨 其角百年忌

春の風草にも酒を呑すべし

『文化句帖』(文化3年2月)

其角は酒飲みとして知られている。

十五から酒をのみ出てけふの月


其角の住まい近くに茅場町薬師があった。

文化5年(1809年)4月8日、一茶は松井と茅場町薬師に灌仏参。

   八日 晴 松井と灌仏参

藤棚もけふに逢けり花御堂

『文化句帖』(文化5年4月)

4月8日は、灌仏会。 松井 は日本橋久松町の人。

下 町 に戻る


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください