このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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私の旅日記
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2004年
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大島小松川公園〜旧小松川閘門〜
都営新宿線東大島駅を降りると、大島小松川公園がある。
大島小松川公園に旧小松川閘門が保存されている。
旧小松川閘門
この建物は、その昔小松川閘門と呼ばれていました。
閘門とは水位の異なる2つの水面を調節して船を通行させる特殊な水門のことです。
川は、現在のように車などの交通機関が普及するまでは、大量の物資(米、塩、醤油など)を効率よく運べる船の通り道として頻繁に利用されました。
ここは、その船の通り道である荒川と旧中川との合流点でしたが、たび重なる水害を防ぐために明治44年、荒川の改修工事が進められ、その結果、水位差が生じて船の通行に大きな障害となりました。
この水位差を解消させるために昭和5年、小松川閘門が完成し、その後、車などの交通機関が発達して、船の需要が減少し閉鎖に至るまでの間、重要な役割を果たしました。
本来、この閘門は、2つの扉の開閉によって機能を果たしていましたが、この建物はそのうちの1つで、もう1つの扉は現在ありません。また、この建物も全体の約2/3程度が土の中に埋まっていて昔の面影が少ないのですが、今後、この残された部分を大切に保存して周辺地域の移り変わりを伝えるのに役立てる予定です。
国土交通省
東 京 都
対岸には船堀閘門がある。
昭和32年(1957年)の夏、
石田波郷
は船堀閘門を訪れた。
葭切(よしきり)のギョギョシ、ギョギョシと鳴く青葭原を見下しつつ閘門の下に出る。放水路もここらはずんと広く、河口葛西橋方面からの川風が涼しい。ここは荒川、中川両放水路へ、新川、小名木川、旧中川が口をひらいているところで、船堀、中川、小名木川の3水門と新川水門が東西4本柱の如く相対している。
葭切や晩潮へゆくごかい掘り
荒川の河川敷では、どこかの高校生でマラソン大会をやっていた。
先生も寒いのにご苦労さまである。
塩舐め地蔵
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