このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2006年
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見返り柳
〜『たけくらべ』〜
土手通りの「吉原大門」に見返り柳の碑があった。
見返り柳の碑
新吉原衣紋坂
見返り柳
旧吉原遊郭の名所のひとつで、京都の島原遊郭の門口の柳を模したいう。遊び帰りの客が、後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、この柳のあたりで遊郭を振り返ったということから「見返り柳」の名があり、
きぬぎぬのうしろ髪ひく柳かな
見返れば意見か柳顔をうち
など、多くの川柳の題材となっている。
榎本其角
は吉原を句に詠んでいる。
闇の夜は吉原ばかり月夜かな
『五元集』
吉原の初午
初午や賽銭よみは芝居から
『五元集拾遺』
小林一茶
も吉原を詠んでいる。
1617年、日本橋(現在の日本橋
人形町
)に吉原遊廓が誕生。1657年、明暦の大火で焼失し、浅草に移転。これが新吉原である。明暦の大火は、振袖火事のこと。
樋口一葉の『たけくらべ』は「
廻れば大門の見返り柳いと長けれど
」で始まる。
廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火うつる三階の騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行來にはかり知られぬ全盛をうらなひて、
大音寺前
と名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き、
三嶋神社
の角をまがりてより是れぞと見ゆる大厦
(いへ)
もなく、かたぶく軒端の十軒長屋二十軒長や、商ひはかつふつ利かぬ處とて半さしたる雨戸の外に、あやしき形
(なり)
に紙を切りなして、胡粉ぬりくり彩色のある田樂みるやう、裏にはりたる串のさまもをかし、
樋口一葉『たけくらべ』
正岡子規
も吉原を詠んでいる。
吉原や晝のやうなる小夜時雨
『寒山落木』(巻四)
この辺りは戦災に遭っていない。
明治の木造建築の店構え
老舗の桜肉鍋「中江」と天麩羅「伊勢屋」
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