このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
静 岡
修善寺温泉「新井旅館」
「
新井旅館
」(HP)は国の
登録文化財
の宿。
天気も良くないので、出掛ける所もない。「新井旅館」の登録文化財ガイドに参加することにした。
「15名様限定」で、「定員の為、お断りさせて頂くことが多くなりました。」ということだったが、参加者は2人だけ。
「新井旅館」のシンボル、青州楼(明治14年築、木造3階建)。
青州楼は外からでは電線が邪魔をして、うまく写真が撮れない。
あやめの棟(昭和7年築、木造2階建)の向かいが青州楼だった。
明治42年(1909年)、
島崎藤村
、
田山花袋
、蒲原有明らは大仁
(おおひと)
から修善寺温泉まで歩き、「新井旅館」に泊まる。
吾儕の身體も冷えては居たが、湯も熱かつた。谷底の石の間から湧く温泉の中へ吾儕は肩まで沈んで、各自
(めいめい)
放肆
(ほしいまゝ)
に手足を伸ばした。そして互に顏を見合せて、寒かつた途中のことを思つて見た。
『伊豆の旅』
私が泊まったのは雪の棟で、
尾崎紅葉
滞在の間だった。
あやめ風呂の屋根の上から雪の棟(明治32年築、木造2階建)を望む。
案内してくれたのは、若くてきれいなフロントのおねえさんだった。文化財よりも、こちらの方に感動した。
川端龍子
は毎年修善寺を訪れ、「新井旅館」
天平大浴堂
の「ゆあみ」、池の鯉の「魚紋」などの作品を残している。ロビーの扁額「明月荘あらゐ」は龍子が書いたものだそうだ。
花の棟(昭和9年築、木造2階建)と池
川端茅舎
は川端龍子の異母弟、茅舎も「新井旅館」を訪れているかも知れない。おねえさんは川端茅舎など知らないと言う。
ひらひらと月光降りぬ貝割菜
ぜんまいののの字ばかりの寂光土
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