このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

牧水ゆかりの地

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沼津市若山牧水記念館

 国道414号から沼津港に向かい、標識に従って右折すると、 沼津市若山牧水記念館(HP) がある。


沼津市若山牧水記念館


 沼津は伊豆に来る度に通る。何時でも来られると思うと、かえって来られない。立ち寄ったら、たまたま休館日だったこともある。今日はやっと沼津市若山牧水記念館に入ることが出来た。

 沼津市若山牧水記念館は没後60年の昭和62年(1987年)11月にオープン。現在の館長は3代目で、牧水のお孫さんにあたる榎本篁子(えのもとむらこ)さん。ホームページは平成14年(2002年)5月25日に開設されたばかり。

入館料は200円。

大正7年(1918年)1月2日、牧水は沼津から奥さんに葉書を出している。

 とうとうこんな所にやつて来た、これから船で土肥に渡る、雨だ、珍しいが、旅には困る、何しろ、昨日は心おちつかず、これからだ、

 何が「これから」なのかは分からないが、沼津を「こんな所」と書いているのだから、この時牧水は初めて沼津を訪れたのであろう。

牧水33歳の時である。

大正9年(1920年)8月、牧水は沼津に転居する。

大正9年(1920年)8月7日付けで同郷(日向)の友人に宛てた手紙がある。

 この15日に静岡県の沼津に移轉することになった、永住といふか半永住といふか、出来たら一生東京には帰って来まいと思ってゐる、

「移轉の理由」を次のように書いている。

 いろんな人間から離れて自分ひとりになりたいこと、健康をとり戻して勉強がしてみたいこと、つまり自分自身の中にある力といふ力をこれから試して見たいといふ希望からのことなのだ、

昭和2年(1927年)5月、牧水は奥さんを伴い、朝鮮へ揮毫旅行に出かける。

これが牧水の健康を害したようだ。

昭和3年(1928年)9月17日、43歳で永眠。

酒ほしさまぎらはすとて庭に出でつ庭草をぬくこの庭草を

牧水の机におかれた雑誌の裏に記されていた歌だそうだ。

墓所は沼津市千本山 乗運寺 にある。

乗運寺は沼津市若山牧水記念館の近くだが、あまり行く気はしなかった。

千本浜公園 にある牧水の歌碑を探し行く。

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