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私の旅日記2007年

長楽寺〜市指定史跡〜
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了仙寺 を出ると長楽寺というお寺があったので、行ってみた。


大浦山長楽寺


高野山真言宗 のお寺である。

 安政元年(1854年)12月、 当寺において日本全権筒井政憲・川路聖謨とロシア使節海軍中将プチャーチンとの数回におよぶ交渉の結果、 日露和親条約 (日露通好条約)が締結された。 これによって国境が定まり、択捉(エトロフ)島と得撫(ウルップ)島の間に境界を置き、択捉・国後(クナシリ)・歯舞(ハボマイ)・色丹(シコタン)は日本領に、得撫島以北の千島列島はロシアに属し、樺太については日露両国人の雑居を認めることになった。

嘉永7年11月4日、(1854年12月23日)、安政東海地震。

 プチャーチン提督の乗艦ディアナ号は航行不能になり、西伊豆の戸田へ修理のため曳航中、沈没してしまった。

 また、安政2年(1855年)1月、米国使節アダムス中佐と日本側応接掛井戸対馬守等の間で、先に締結された日米和親条約批准書の交換が当寺において行われた。

 参道東側の高台にあった梵鐘は良く響き、江戸時代から「時の鐘」として下田港に停泊中の船舶や町民に親しまれていたが、戦時中に供出された。現在の鐘楼と梵鐘は昭和51年に再建されたものである。

本堂の前に蓮の花が咲いていた。


蓮は珍しくないが、花が咲いているのを見るのは稀である。

白い木槿の花が咲いていた。


木槿(むくげ)はアオイ科の花。

長楽寺の鐘楼


鳥の写真を撮った。


鳥の名前は分からない。

そこで 下田市観光協会 に問い合わせてみた。

磯鵯(いそひよどり)の雄で、伊豆にはたくさん生息しているとのこと。

ちなみに伊東市の鳥に指定されているそうだ。

吉田松陰拘禁の跡 へ。

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