このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2007年

吉田松陰拘禁の跡〜市指定史跡〜
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 下田市の下田市立中央公民館・下田市教育委員会館に「市指定史跡吉田松陰拘禁の跡」があった。


吉田松陰拘禁之跡


市指定史跡

吉田松陰拘禁の跡


 幕末の志士 吉田松蔭 は海外事情を学ぶため鎖国の禁を犯し密航することを決意した。長崎に来港したロシア船への便乗を佐久間象山に勧められ急行したが間に合わず、翌嘉永7年(1854年)3月再航したペリー艦隊を追って弟子金子重輔と下田へ来た。 機をうかがい夜中 柿崎 より小舟でペリー艦隊ポーハタン号に漕ぎ着け、渡米を懇請したが、ペリーに拒絶された。壮図空しく破れた松陰等がいさぎよく自首して拘禁された場所が、ここ長命寺(廃寺)であった。 さらに平滑(ひらなめ)の獄に移され、同年4月11日には江戸伝馬町の獄に送られた。松蔭等が下田に滞在した期間は24日の短いものであり、また海外渡航は失敗に終わったが、その行動は幕末開港の歴史に欠くことのできない重要な1頁を刻むものであり、後に与えた影響は大きかった。

下田市

浜木綿が咲いていた。


伊豆は南国である。

河内温泉 へ。

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