このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2004年

湯ヶ野〜伊豆の踊子文学碑〜


芦ノ湖スカイライン から県道20号熱海箱根峠線に入り、伊豆スカイラインへ。


熱海の温泉街を見下ろす。


 スカイポート亀石で湯ヶ野に行く道を確認しようとしたら、「湯ヶ野? 湯ヶ島でしょう。」と言われた。


 亀石峠から大仁(おおひと)に出て、国道136号を行けばいいのだが、それではつまらない。


 伊豆スカイライン冷川(ひえかわ)ICから県道12号伊東修善寺線に入り、左折して大見川沿いに県道59号伊東西伊豆線を行く。


県道59号伊東西伊豆線はきれいに舗装された道路だが、次第に道幅が狭くなる。

この辺りは山葵田(わさびだ)が多い。

国士越を越えて湯ヶ島へ。


国道414号沿いにの 眠雲閣落合楼」 の玄関が無くなっていた。

眠雲閣落合楼」は創業明治7年の老舗旅館。

平成14年に改築して 落合楼村上」 となり、経営者も変わったそうだ。

国道414号で浄蓮の滝を過ぎると、道の駅「天城越え」があった。


ここは海抜450m。

天城トンネルを抜けると、河津町。

河津川に沿って、国道414号を下る。

河津七滝ループ橋を渡ると、湯ヶ野温泉がある。


いで湯の里湯ヶ野温泉


伊豆の踊子文学碑入口と書いてある。

川端康成 は大正7年11月2日、3日、4日と湯ヶ野温泉に宿泊した。

河津川沿いに共同湯がある。


踊り子が走り出して来た湯殿である。

 仄暗(ほのぐら)い湯殿の奥から、突然裸の女が走り出して来たかと思うと、脱衣場の突鼻に川岸へ飛び下りそうな恰好で立ち、両手を一ぱいに伸ばして何か叫んでいる。手拭いもない真裸だ。それが踊り子だった。

河津川の対岸に福田家がある。


「私」は福田家の2階の部屋で踊り子を見ていた。

河津川


福田家に伊豆の踊子の像があるが、写真を喪失した。

福田家の隣に伊豆の踊子文学碑。


 湯が野までは河津川に沿うて三里餘りの下道だつた。峠を越えてからは、山や空の色までが南国らしく感じられた。私と男とは絶えず話し續けて、すつかり親しくなつた。荻乗(おぎのり)や梨本なぞの小さい村里を過ぎて、湯が野の藁屋根が麓に見えるやうになつた頃、私は下田まで一緒に旅をしたいと思い切つて言つた。彼は大変喜んだ。

河津 へ。

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