このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
昔の温泉
湯ヶ島温泉「
眠雲閣
落合楼」〜
東名高速御殿場ICから国道136号(乙女道路)を通って箱根へ。そこから、いろいろな道を走ったが、国道136号に戻って、狩野川沿いに南下する。
国道136号から国道414号に入り、湯ヶ島温泉へ。
「
眠雲閣
落合楼」に泊まる。
「
眠雲閣
落合楼」は創業125年の老舗旅館。
有形文化財
である。猫越
(ねっこ)
川と本谷
(ほんたに)
川が庭内で合流して狩野川となるのを見て、山岡鉄舟(1836〜1888) が「落合楼」と名付けたそうだ。
婦人風呂から洞窟を抜けると、混浴になる。婦人風呂の方へ行く勇気はない。
明治42年(1909年)、
島崎藤村
は修善寺温泉から馬車で湯ヶ島温泉へ。「落合楼」に泊まる。
大正3年(1914年)5月2日、東洋大学の創設者
井上円了
は大仁駅より馬車で湯ヶ島温泉を訪れ、「落合楼」に宿泊した。
昭和2年(1927年)7月25日、
萩原朔太郎
は落合樓で
芥川龍之介
の自殺を知る。
七月二十五日、自分は湯ヶ島温泉の落合樓に滯在してゐた。朝飯の膳に向かつた時、女中がさりげない風でたづねた。
「小説家の芥川といふ人を知つてゐますか?」
「うん、知つてる。それがどうした?」
「自殺しました。」
「なに?」
「芥川龍之介の死」
昭和7年(1932年)11月27日、
与謝野晶子
は「落合楼」に泊まっている。翌28日、伊東
「抛書山荘」
に2泊。鉄幹は風邪で同行しなかったそうだ。
昭和10年(1935年)1月、
北原白秋
は「落合楼」に20日あまり滞在した。
昭和十年一月、伊豆湯ケ島温泉落合楼に遊ぶ。淹留二十
余、概ね渓流に臨む湯滝の階上に起居す。
黄鶺鴒
行く水の目にとどまらぬ青水泡
(あをみなわ)
鶺鴒の尾は触れにたりけり
事も無し冬の朝日に岩づたふ黄の鶺鴒の一羽をりつつ
『渓流唱』
昭和12年(1937年)10月8日、
与謝野晶子
は伊東「抛書山荘」に2泊。11日、修善寺温泉から
浄蓮の滝
を訪れ、湯ヶ島温泉「落合楼」に泊まった。翌12日、
三嶋大社
を参詣。
昭和31年(1956年)1月4日、
水原秋桜子
は落合楼に泊まっている。
落合楼に泊る
鯉あまたひそめる池か藪柑子
炬燵して渓声雨声暮れゆけり
『玄魚』
「
眠雲閣
落合楼」は狩野川を挟んで
「
落合楼
村上」
と「
眠雲閣
落合」に別れてしまった。
湯ヶ島
と言えば、川端康成の『伊豆の踊子』。
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