このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
与謝野晶子の歌碑
〜一碧湖〜
昭和5年(1930年)元日、与謝野寛、晶子夫妻は初めて伊東に歌を詠みに行く。浜辺に近い「東流館」に泊まった。
一碧湖とは小室の大池の新稱である。町から南へ一里の山中にあるので見に行つたが、霜融の泥濘に困つて、途中の山から其の一部を眺めただけで引返した。
『伊豆の旅』
昭和5年(1930年)10月11日、初めて「抛書山荘」を訪問。
昭和7年(1932年)11月28日、与謝野晶子は「抛書山荘」に2泊。鉄幹は風邪で同行しなかった。
椿山房三国路与謝野晶子紀行文学館
で「抛書山荘」の日本間を一部再現している。
伊東の一碧湖に与謝野晶子の歌碑があるというので、行ってみた。
一碧湖
黒ずみて湖水も石のここちすれ山の底には夕明りなし 晶子
観光橋に車を停めて、ボート乗り場に向かって歩く。
与謝野晶子の歌碑は対岸にあるようなので、一碧湖を一周する。
十二連島
(つれじま)
静かなる十二連島見るままに所を移す鴨の連島 晶子
一碧湖をほぼ一周すると、観光橋近くの広場に与謝野晶子の歌碑があった。
与謝野晶子の歌碑
初夏の天城おろしに雲ふかれみだれて影す伊豆の湖 鉄幹
昭和9年(1934年)の歌で、『冬柏』5卷7号の「ホトトギスとイチゴ四」の39首の中にある。
昭和9年(1934年)6月6日、与謝野晶子・鉄幹は伊東「抛書山荘」に2泊。
8日、
多賀村
を訪れ、箱根湯本温泉へ。
うぐいすがよきしののめの空に鳴き吉田の池の碧水まさる 晶子
昭和12年(1937年)の作で、『冬柏』8卷4号の「幽歩抄一」の69首の中にある。
昭和12年(1937年)10月8日、与謝野晶子は伊東「抛書山荘」に2泊。11日、修善寺温泉から
浄蓮の滝
を訪れ、
湯ヶ島温泉「落合楼」
に泊まった。
与謝野鉄幹・晶子先生は、明治、大正、昭和を代表する歌人としてその作品は多くの共感、感動を人に与えております。
御夫妻は昭和初期、汽船で伊東港に着き、出湯の風物を楽しまれながら、特にこの一碧湖を憩いと創作の地としてよくたずね、透明な感覚から天城や湖水の美しさを数多く歌われています。
この碑は、湖の自然をいつまでも護る願いもこめて、先生御遺族をはじめ、門弟であり、かつて対岸にあった抛書山荘の島谷静子氏等ゆかりの方々の御教示をいただき建立しました。
昭和51年秋
昭和11年(1936年)4月20日、
種田山頭火
は伊東から下田に向かう途中で一碧胡を通りがかる。
川奈ゴルフ場、一碧胡、富戸の俎岩、光の村、等々を横目で眺めつつ通り過ぎる、雑木林が美しい、天城連山が尊い、山うぐいすが有難い。
『旅日記』
物見塚公園
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