このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
静 岡
湯ヶ野温泉
〜川端康成・与謝野晶子・島崎藤村〜
湯ヶ野温泉と言えば『伊豆の踊子』である。
いで湯の里
湯ヶ野温泉
川端康成
は大正7年11月2日、3日、4日と湯ヶ野温泉「福田家」に宿泊した。
湯ヶ野温泉は川端康成ばかりでなく、
与謝野晶子
も泊まっている。
天城山の南の峽谷、即ち河津川の上流にある、陜い崖上の温泉宿は江戸屋を最とすると云ふので、私達3人の一行は其家に泊つた。天井の極めて低い六畳が最上の座敷である。左右の兩室には東京の學生客が舊臘
(きゅうろう)
から滞宿してゐるらしかつた。
与謝野晶子『伊豆遊記』
大正12年(1923年)の元日のことである。舊臘
(きゅうろう)
は、新年からみて旧年の12月。
与謝野晶子が湯ヶ野温泉に着いたのは夜の9時、翌2日の朝8時には乗合自動車に乗って谷津温泉に向かう。
「江戸屋」は湯ヶ野で最も古い温泉宿だそうだ。
河津川
河津川沿いに
「江戸屋」
がある。
温泉は穴倉のやうな所へ石段を下りて行くと、一間四方程の浴槽がある。薄暗い電燈の下に幾つかの首が默つて浮いてゐる。男女混浴である。淋しくはあるが、昔の安湯宿の風があつて旅の心が落着く。
『伊豆遊記』
今でも温泉は与謝野晶子が泊まった頃と変わらないようだ。
「江戸屋」の隣が共同湯。
踊り子が走り出して来た湯殿である。
共同湯の隣が「湯本楼」。
「湯本楼」は明治創業で、
島崎藤村
、蒲原有明らに愛された旅館だそうだ。
湯が野ではすこしユツクリした。こゝにも温泉があつた。洋服を脱ぐのが面倒臭いから、私は入らない積りだつたが、皆なに勸められて旅の疲勞
(つかれ)
を忘れに行つた。こゝの宿から河津川が見えた。二階の部屋の唐紙に書いてある漢詩を眺めながら晝飯
(ひる)
を濟ました。こゝにはウマイ葱があつた。
島崎藤村『伊豆の旅』
静 岡
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