このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
夏目漱石の句碑
木枯らしや冠者の墓撲つ松落葉
蒲殿の以与以与悲し可連尾花
伊予市上吾川の
稱名寺
の北側に鎌倉池がある。
鎌倉池に「古蹟 蒲冠者源範頼公鎌倉神社」の碑があった。
鎌倉神社
社殿の左手に夏目漱石の句碑があった。
木枯らしや冠者の墓撲つ松落葉
蒲殿の以与以与悲し可連尾花
(かばどののいよいよかなしかれおばな)
明治28年(1895年)、松山中学校の教師であった夏目漱石がこの地で作った俳句である。
冠者・蒲殿は源範頼のこと。兄、源頼朝に追われてここへのがれた悲しい最期をとげたという範頼をあわれむ情が、ひしひしと感じれれる。
句碑は、昭和16年(1941年)に地元の有志が建立し、文字は松山市西垣生れの俳人
村上霽月
が書いた。
伊予市観光協会
平成28年(2016年)は、夏目漱石没後100年にあたる。
彼岸花が咲いていた。
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