このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
今年の旅日記
立江寺
〜四国の総関所〜
小松島市立江町字若松に立江寺があったので、立ち寄ってみた。
立江寺山門
四国八十八ケ所
第19番札所である。
立江寺略縁起
当山は人皇四十五代聖武天皇の勅願寺にして天平年間に
行基菩薩
が光明皇后の御安産の念持仏として勅命により閻浮壇金をもって1寸8分の本尊「延命地蔵尊」——世に之を子安の地蔵尊と称し奉る——をお作りになり伽藍を建立開基されました。伽藍建立の地を卜するにあたり、1羽の自鷺が何処ともなく飛び来たりて、九ツ橋(現在の自鷺橋)の上に止まり、行基菩薩に仏天の暗示として霊城を示したと伝えられています。弘仁6年(815年)に弘法大師が四国霊場御開創のおり当山に御留錫なされ、行基菩薩のお作りになりました1寸8分の小像のみにては後世に紛失のおそれありとして、自ら一刀三礼6尺の大像を刻まれ、小像をその御胸に秘収安置され「立江寺」と号し、第19番の霊場とされました。なお、当山は元、清水奥谷山麓(現在地より西へ500メートル現在の立江寺奥の院)にあった巨刹でしたが、天正年間に長曽我部の兵火にあい、ご本尊を残して灰燼に帰しましたが、当時の藩主蜂須賀家初代蓬庵公の御帰信が篤く、現在の地に移転再興され、「子安の地蔵尊」「立江の地蔵さん」と称され、西国巡礼御詠歌集に高野山・善光寺などとならんでとりあげられている程、全国の善男、善女の信仰の篤い名刺です。
立江寺本堂
本尊は延命地蔵菩薩。
高野山真言宗
の寺である。
昭和14年(1939年)11月2日、
種田山頭火
は立江寺に参拝している。
十一月二日 快晴、行程八里、星越山麓、あさひや。
早起早立、まっしぐらにいそぐ、第十八番恩山寺遥拝、第十九番立江寺拝登。
野良で野良働きの人々がお弁当を食べている、私も食べる、わがままをつつしむべし。
『四国遍路日記』
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