このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2010年
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光岳寺
〜大島蓼太の句碑〜
調布市富士見町に光岳寺という寺がある。
光岳寺山門
徳川家康の母堂於大の方の法名「傳通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼」から名づけた旗本寺である。
正保元年(1644年)、
伝通院
第四世叡誉聞悦上人の発願により建立。
昭和9年(1934年)、女史師範、府立第二高女(現学芸大学附属竹早小・中)の敷地拡張のため小石川から飛田給に移る。
昭和19年(1944年)、調布飛行場拡張のため現在地に移る。
山門を入ると、右手に
大島蓼太
の句碑があった。
夏痩の我骨さぐる寝覚かな
蓼太の自筆だそうだが、風化して読めない。
安永10年(1781年)3月21日、蓼太の弟子班石と光岳寺十一世住職遠誉上人(俳号魯洲)が建立。
記念集『寝覚塚集』が上梓され、寝覚塚の句碑と呼ばれている。
蓼太生前唯一の自筆句碑である。
天明7年(1787年)9月7日、蓼太は70歳で没。
句碑の左に少し離れて寝覚塚の標石があった。
雪中庵蓼太句碑
寝覚塚に刻まれた句と碑の移転の経過などが記されているそうだが、よく読めない。
昭和11年(1936年)3月、建立。
溪照山西向院光岳寺
浄土宗
鎮西派の寺である。
本尊は阿弥陀如来。
境内には
太田道灌
稲荷もあった。
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