このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2010年
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日光例幣使街道
〜岡田記念館〜
「あだち好古館」
から
日光例幣使街道
を行く。
嘉右衛門町に岡田記念館がある。
岡田記念南館
代官屋敷
岡田嘉右衛門家由緒
当家は、現当主岡田嘉右衛門をもって二十六代を閲すると伝えられる。 本市屈指の旧家である。古くは武家であったが、主筋の衰亡により帰農し、近世初頭の慶長の頃この地に移住し、周辺の荒蕪地を開墾して当主の名に因み、嘉右衛門新田と称するものを経営、大分限者となり、地域発展の基礎を築いた。これが現在の嘉右衛門町と云う地名の起こりともなる。以後代々の当主は嘉右衛門を襲名し、日光例幣使街道の開設に伴って、この地の名主役本陣を勤めた他、名門畠山氏の領地時代は近郷一円の陣屋も邸内に設けられ後に、その代官職も代行するなど、地区行政の面でも大いに寄与してた。 一方歴代当主は、芸術文化的分野にも関心が深く、その愛護収集にも意を用いた。巴波川
(うずまがわ)
の船便や街道の往還を通じて幾多の文人墨客の逗留があり、中央との文化の交流の、当地の一大拠点であったといえよう。なかんずく明治22年、我が国画壇を代表する不世出の大画家も富岡鉄齋の来訪があり、特別の交誼が結ばれたことは特筆すべきものである。
嘉永5年(1852年)4月2日、吉田松陰は栃木に泊まっている。
栃木に宿す。栃木と嘉右衛門新田とは市街相連り、戸口繁殷なり。旗本の士畠山民部少輔の陣屋あり、采地三千石。行程十二里。
『東北遊日記』
日光例幣使街道は
揄木
で壬生街道と合流、
今市
で日光街道に合流する。
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