このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2008年

宇都宮市立城山西小学校〜芭蕉の句碑〜
indexにもどる

宇都宮市古賀志町に 宇都宮市立城山西小学校 (HP)がある。


城山西小学校


今、全国で一番注目されている小学校だそうだ。

平成19年度の全校児童数は69名。

全校児童数69名の校舎とは思えない。

城山西小学校を応援する会があり、地域全体で学校を支えている。

校庭の右手に芭蕉の句碑があった。


語られぬ湯殿にぬらす袂かな

芭蕉句碑

 松尾芭蕉(1644〜1694)は、『奥の細道』で山形県の 湯殿山 を訪れた時に「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」の句を詠んでおり、「この山中でしたことみたことなどは一切人に語ることが禁じられている。これは皆が守っている霊山の決まりだ。わたしもそういう神秘な湯殿山のありがたさに泪がでるほどだ。」と解釈されています。

 本校の句碑は江戸時代の安政4年(1857年)に弘蔵院の實應住職が建立したものであり、碑は滝神社の「一の鳥居」のところにあったものを移したといわれています。

 現在、市内で江戸時代に造られた芭蕉の句碑は三箇所確認されており、その一つです。

 芭蕉の詠んだ句を江戸時代に弘蔵院の住職が建立しました。

校庭の奥には曽良の句碑があった。


湯殿山ぜにふむ道の泪かな

曽良句碑

 『奥の細道』で芭蕉に同行した 曾良 (1649〜1710)は、生涯百数十句の作品を残した俳人であり、地誌に精通した旅の実践者でもありました。

 本校の校庭の句は『奥の細道』で山形県の 湯殿山 を訪れた時に詠んだ「湯殿山ぜにふむ道の泪かな」の句で、「この山中のきまりで、地に落ちているものを拾ってはならない。だから修験者が投げたお賽銭が砂のように落ちている。これを拾う人もなく、その銭の分で黙々と歩く。この世俗を離れた尊さに涙を流したことだ。」と解釈されています。

 曽良は芭蕉が没して17年後に壱岐の勝本でなくなっています。

小学校で芭蕉の句碑を見たのは初めてである。

私の旅日記2008年 〜に戻る



このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください