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私の旅日記
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2005年
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高久家
〜芭蕉の句碑〜
高福寺
から県道303号黒磯高久線をさらに行くと、芭蕉二宿の地「芭蕉二宿の地」の碑があった。
芭蕉二宿の地
この辺りは高久さんが多いようだが、ここに芭蕉が逗留したという高久の名主高久覚左衛門宅があったのだろう。
高久さんの庭に芭蕉の句碑があった。
みちのく一見の桑門同行二人那須の
篠原をたつねて猶
殺生石
みむとて
急ぎ侍る程にあめ降り出ければ
此ところにとゝまり候
風羅坊
落くるやたかくの宿の郭公
木の間をのぞく短夜の雨 曽良
元禄2年(1689年)4月16日(新暦6月3日)、芭蕉と曽良は余瀬から「野間」まで馬で送られ、高久に到着。浄法寺桃雪の紹介で黒羽領36ヶ村の大名主である高久覚左衛門宅に2泊した。
句碑は芭蕉が高久覚左衛門に贈った芭蕉直筆の懐紙によるもの。
芭蕉直筆の懐紙は今でも高久家に所蔵されているようだ。
一 十六日
天気能。翁、館ヨリ余瀬ヘ被立越。則、同道ニテ余瀬ヲ立。及昼、図書・弾蔵ヨリ馬人ニテ被送ル。馬ハ野間ト云所ヨリ戻ス。此間弐里余。高久ニ至ル。雨降リ出ニ依、滞ル。此間弐里半余。宿角
(覚)
左衛門、図書ヨリ状被添。
一 十七日
角
(覚)
左衛門方ニ猶宿。雨降。野間ハ太田原ヨリ三里之内鍋かけヨリ五、六丁西。
『曽良随行日記』
「鍋かけ」は奥州街道鍋掛宿。
4月18日(新暦6月5日)、芭蕉と曽良は高久から那須湯元に向かい、
湯本五左衛門宅
に宿泊。
一 十八日
卯尅、地震ス。辰ノ上尅、雨止。午ノ尅、高久角
(覚)
左衛門宿ヲ立。暫有テ快晴ス。馬壱疋、松子村迄送ル。此間壱リ。松子ヨリ湯本ヘ三リ。未ノ下尅、湯本五左衛門方ヘ着。
芭蕉の句碑の左に別の句碑があった。
万緑に白を研き出す早瀬波 翔
林翔の句だと思うが、よく分からない。
句碑の下には蕗の薹。
高久家の裏山に
「芭蕉庵桃青君碑」
がある。
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