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私の旅日記
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2009年
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乗船寺
〜斎藤茂吉〜
大石田町大石田に乗船寺という寺がある。
乗船寺
慶長元年(1596年)、開山。本尊は阿弥陀如来座像。
浄土宗
の寺である。
宝永6年(1709年)6月22日、大石田の俳人川水は67歳で没。
乗船寺に葬られた。
本堂の手前右手に斎藤茂吉の墓があった。
碑 文
斎藤茂吉
は昭和20年4月、郷里山形に戦争疎開したが、門人板垣家子夫の慫慂により翌年1月、大石田町二蔵部兵右兵衛邸の部屋に移り、
聴禽書屋
と名づけここに安住し、日夜作歌に専念した。かくして最上川を詠んだ「虹の断片」「逆白波」等の名歌が生れた。
昭和22年11月、茂吉は大石田を去るが、この2年間の茂吉と大石田との関係を永く記念するため、茂吉長男斎藤茂太の賛意を得て、板垣家子夫は子等と共にここに茂吉之墓を建立した。
茂吉の墓は東京都青山墓地のほかに分骨による生地上山市金瓶宝泉寺、ここ大石田と3基存在することになる。
大石田の墓は、茂吉晩年の作歌生活ともっとも密接に結びついたものであるから、茂吉の霊はさだめしよろこび鎮まるであらう。これを思ひ門人われらの本懐これに過ぐるものはない。
昭和47年8月13日
門人 結城哀草果謹識
本堂左手奥の庭に斉藤茂吉の歌碑があった。
最上川逆白波のたつまでにふゞくゆふべとなりにけるかも
出典は『白き山』。昭和21年(1946年)の歌である。
昭和48年(1973年)2月25日、板垣家子夫建立。
斎藤茂吉記念館によれば、39番目の
茂吉歌碑
である。
正岡子規の句碑
もあった。
ずんずんと夏を流すや最上川
明治26年(1893年)8月7日の正午頃、子規は
大石田
に着いた。
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