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私の旅日記2009年

新庄駅〜斎藤茂吉の歌碑〜
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 平成11年(1999年)12月4日、山形新幹線山形−新庄間が延長開業。今年が10周年である。

JR東日本新庄駅構内に芭蕉と曽良の像があった。



 元禄2年(1689年)6月1日(陽暦7月17日)、芭蕉は 大石田 から新庄の渋谷甚兵衛 風流亭 を訪ね、2泊している。

後日、 芭蕉の像 だけを。


新庄駅西口の駅前ふれあい広場アビエスに 斎藤茂吉の歌碑 があった。



新庄にかへり来りてむらさきの木通(あけび)の実をし持てばかなしも

歌集『白き山』に収録されている歌である。

 昭和21年(1946年)10月3日、茂吉は湯田川温泉を発ち、鶴岡、新庄を経て 大石田 に帰る。

平成6年(1994年)11月、新庄市建立。

斎藤茂吉記念館によれば、117番目の茂吉歌碑である。

東口にも茂吉の歌碑があった。


新庄に汽車とまるまもなつかしき此国びとのおほどかのこゑ

歌集『ともしび』に収録されている歌である。

 昭和3年(1928年)7月31日、帰郷。8月、茂吉は出羽三山に参拝している。

平成12年(2000年)7月31日、新庄市建立。

山形新幹線が新庄まで開業したのを記念して建立されたそうだ。

斎藤茂吉記念館によれば、123番目の茂吉歌碑である。

 昭和6年(1931年)11月13日、長兄守谷広吉が亡くなる。茂吉は葬儀に参列した後、鳴子、 中尊寺石巻 、塩釜、松嶋、仙台を巡っている。

新庄をわがたちしより車房には士官ふたりが乘込み居りつ

歌集『石泉』(鳴子途上)

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