このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2009年
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新庄駅
〜斎藤茂吉の歌碑〜
平成11年(1999年)12月4日、山形新幹線山形−新庄間が延長開業。今年が10周年である。
JR東日本新庄駅構内に芭蕉と曽良の像があった。
元禄2年(1689年)6月1日(陽暦7月17日)、芭蕉は
大石田
から新庄の渋谷甚兵衛
風流亭
を訪ね、2泊している。
後日、
芭蕉の像
だけを。
新庄駅西口の駅前ふれあい広場アビエスに
斎藤茂吉の歌碑
があった。
新庄にかへり来りてむらさきの木通
(あけび)
の実をし持てばかなしも
歌集『白き山』に収録されている歌である。
昭和21年(1946年)10月3日、茂吉は湯田川温泉を発ち、鶴岡、新庄を経て
大石田
に帰る。
平成6年(1994年)11月、新庄市建立。
斎藤茂吉記念館によれば、117番目の茂吉歌碑である。
東口にも茂吉の歌碑があった。
新庄に汽車とまるまもなつかしき此国びとのおほどかのこゑ
歌集『ともしび』に収録されている歌である。
昭和3年(1928年)7月31日、帰郷。8月、茂吉は出羽三山に参拝している。
平成12年(2000年)7月31日、新庄市建立。
山形新幹線が新庄まで開業したのを記念して建立されたそうだ。
斎藤茂吉記念館によれば、123番目の茂吉歌碑である。
昭和6年(1931年)11月13日、長兄守谷広吉が亡くなる。茂吉は葬儀に参列した後、鳴子、
中尊寺
、
石巻
、塩釜、松嶋、仙台を巡っている。
新庄をわがたちしより車房には士官ふたりが乘込み居りつ
歌集『石泉』(鳴子途上)
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