このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2013年

徳応寺〜「霜釜塚」〜
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周南市川端町2丁目に徳応寺という寺がある。


竹園山徳応寺


浄土真宗本願寺派 の寺である。

 徳応寺は、もと播磨の国の武士であった宗覚法師によって遠石の地に開基されました。元和3年(1617年)より寺号を徳応寺とし、貞享2年(1685年)に二代藩主元賢より寺敷を拝領して徳山御弓丁(現在の川端町)に移りました。

 本寺境内には、都濃三孝女の一人、阿米(およね)の墓があります。阿米の孝養は徳山藩主の耳にも届き、しばしば表彰されています。

 また、「赤松照幢先生安子先生之碑」は、同寺住職で、明治期に私立徳山女学校を創設し、当地方の女子教育の発展に尽力した赤松照幢夫妻の記念碑です。明治から昭和初期の文壇で活躍した 与謝野鉄幹 は照幢の実弟で、兄の依頼を受け、一時期同女学校の教師を務めました。

周南市教育委員会

「赤松照幢先生安子先生之碑」


 明治40年(1907年)8月18日、与謝野寛、木下杢太郎、吉井勇、平野万里の4人は徳応寺に泊まっている。

 伊藤師は二三年前東京に在つて、巣鴨の大日堂で「無我愛」を唱へ、一部の熱心な求道者を吸引した、有名な伊藤証信師其人である。一旦大に感ずる所あり、彼の大声疾呼を止めて以後は、予が阿兄の招請に応じて此周防に来り、徳応寺附属の女学校に教鞭を執る傍、慇ろに信者を教化して居られる。

   (中 略)

 月は余等を送つて徳応寺の後楼の蚊帳の中に眠らしめた。

「五足の靴」 (月光)

徳応寺に「霜釜塚」があった。


貧山の釜霜に鳴聲寒し

出典は「乞食の翁」句文懐紙。

『山海経』の「豊山之鐘霜降而自鳴」による。

天和元年(1681年)の句とされる。

『蕉翁句集』 は「天和延宝年中」の句とする。

『芭蕉句鑑』 には「天和元より三迄の冬の部」に収録されている。

『虚栗』 に収録。

寛政12年(1800年)12月、建立。

雪洞仙は遠石八幡宮の神官。

安永3年(1774年)、美濃派五世 安田以哉坊 西遊の時に立机。

文化元年(1804年)、没。

徳応寺に4基の句碑がある。

名月や白浜よごす影法師
   初代雪洞仙

炭竈の煙りはしるし雪の山
   公羽仙

登る程遠のく雲や山さくら
   二世可律坊

鷄啼てまことの雪の夜明かな
   三代雪キョウ仙

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