このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2010年
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武田神社
〜太宰治〜
甲府市古府中町に
武田神社
(HP)がある。
武田神社は躑躅ヶ崎館跡に鎮座。
御祭神は武田信玄公。
天正元年(1573年)4月12日、
武田信玄
は上洛の夢半ばに信州
駒場
で53歳の生涯を終えた。
安永5年(1775年)、
加舎白雄
は躑躅が崎の城跡で句を詠んでいる。
先甲氏城蹟
生にけり蹄にかけぬ春の艸
「甲峡記行」
天明8年(1788年)3月16日、蝶夢は江戸へ下る途中で躑躅が崎の城跡を訪れている。
十六日は、教順和尚の案内にて、信玄僧正の古城あたり、墓所は円光寺の前、畑の中に有ぬ。躑躅が崎の城跡、其世のまゝの石垣に面影残り、戦毎に勝給ふなるも、いわゆる善ならざる事も哀深し。
『富士美行脚』
昭和14年(1939年)4月11日、
太宰治
は武田神社へ桜を見に行った。
けさは上天気ゆえ、家内と妹を連れて、武田神社へ、桜を見に行く。 母をも誘ったのであるが、母は、おなかの工合い悪く留守。武田神社は、武田信玄を祭ってあって、毎年、四月十二日に大祭があり、そのころには、ちょうど境内の桜が満開なのである。四月十二日は、信玄が生れた日だとか、死んだ日だとか、家内も妹も仔細らしく説明して呉れるのだが、私には、それが怪しく思われる。サクラの満開の日と、生れた日と、こんなにピッタリ合うなんて、なんだか、怪しい。話がうますぎると思う。神主さんの、からくりではないかとさえ、疑いたくなるのである。
太宰治『春昼』
JR中央本線甲府駅の南口に武田信玄の像がある。
昭和44年(1969年)4月12日、武田神社例大祭日に除幕。
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