このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
増上寺
増上寺の最寄り駅は都営三田線の御成門駅なのですが、今回は浜松町の駅から徒歩で訪れました。
現地の地図は
これ
。
浜松町の駅のすぐ近くには、「大門」と言う名前の地下鉄の駅があります。
これは増上寺の大門があることから付けられた駅名です。
と言う訳で、浜松町の駅前の通りを真っ直ぐ歩いて行くと、芝大門をくぐり増上寺へと到達します。
写真は重要文化財ににも指定されている三解脱門です。
増上寺は将軍家の菩提寺で、江戸時代には広大な寺域を有していました。
『会津藩家世実紀』には、土津公が台徳院院(二代将軍秀忠公)御廟の普請を担当したとあり、
『厳有院殿御実紀』には、四代将軍家綱公の代参として土津公が度々台徳院御廟を訪れたという記録が残っています。
三解脱門から境内に入らずに、正面の道を左に進むと台徳院御廟の惣門が残っています。
現在はむかつく事に東京プリンスホテルパークタワーの入口になっています。
まだ、「狭山不動尊」の項目をお読みになっていない方は、
こちら
を読まれてから先にお進みください。
写真の黒い枠の部分に勅額門があったそうです。
「勅額門の跡」と言う立て札が建っていましたが、
勅額門が現存している事、所沢の狭山不動寺に移築した事には全く触れていませんでした。
ちゃんと、「ホテルやゴルフ場を建設するのに邪魔だったから所沢に持って行った」って言う事も書いてもらいたいですね。
秀忠公の御廟があった場所には東京プリンスホテルパークタワーが建っています。
これは黒く縁取らなくてもいいんですかね?
秀忠公のお墓をどかしてゴルフ場、後にはホテルを建てたってちゃんと案内板を建てておきましょうよ。
文化財破壊+高遠藩士が建設に携わったものを壊されたという事で、怒り倍増です。
台徳院御廟の惣門からさらに南に進むと芝東照宮があります。
江戸時代、ここは同じく家康公を祀る増上寺安国殿でしたが、薩長政府の神仏分離令のどさくさに紛れて増上寺から独立しました。
非常に憤りを感じる事の多いお寺でありました。
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