このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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宮沢賢治 (みやざわ・けんじ) 1896〜1933。


オツベルと象  (青空文庫)
掌編。百姓たちを使って稲扱(こ)きをしているオツベルは、ふらっとやって来た白い象を懐柔して働かせ始める。食事である藁の量を減らされ、こき使われるようになった象は、遂にふらふら倒れてしまう…。経営者の資質と過重労働の問題を描いて非常に今日的だ。

貝の火  (青空文庫)
短編。川で溺れていたひばりの子供を助けてあげた子兎(こうさぎ)のホモイ。お礼に「貝の火」という宝珠の玉を貰ったホモイは、動物たちから尊敬され、すっかり大将気取りになる。お父さんの心配をよそに、悪党の狐(きつね)を家来にしたホモイは、狐の悪事に加担していき…。「たった六日だったな。ホッホ たった六日だったな。ホッホ」。ふくろうのあざ笑いに、はっとさせられる。強烈なる寓話!!

風の又三郎  (青空文庫)
中編。どっどど どどうど どどうど どどう──谷川の岸の小さな学校に、不思議な転校生・高田三郎(風の又三郎)がやって来た。「やっぱりあいづ又三郎だぞ。あいづ何かするときっと風吹いてくるぞ」。喧嘩になった又三郎と耕助が仲直りする場面は、微笑ましく、感動的だ。又三郎と子供たちの心温まる交流を描いた名作童話。

銀河鉄道の夜  (青空文庫「角川文庫バージョン」)
中編。病気の母を抱え、学校帰りに活版所で働く少年・ジョバンニは、気がつけば、親友・カムパネルラと銀河鉄道を旅していた。乗客たちと交流していくうち、この列車が天上へ行く死者を運ぶ列車だと知る…。「僕きっとまっすぐに進みます。きっとほんとうの幸福を求めます」──。悲しみを乗り越え前向きに生きる決心をする姿に感涙。

●『銀河鉄道の夜』は、涙なくしては読めない最高傑作。(※未定稿であるため、版によって内容が異なる。新潮文庫版は、ブルカニロ博士の部分が削除されたバージョンなので、ここでは角川文庫版による)

「さあ、切符をしっかり持っておいで。お前はもう夢の鉄道の中でなしにほんとうの世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐに歩いて行かなければいけない。天の川のなかでたった一つの、ほんとうのその切符を決しておまえはなくしてはいけない」。

ブルカニロ博士がジョバンニに話してきかせるこの言葉は、何度読んでも胸に響く名言だ。

銀河鉄道の乗客である女の子が語る「さそり」の話が、宮沢賢治の童話に共通するテーマそのもので、印象に残る。

「そうよ。だけどいい虫だわ、お父さんこう言ったのよ。むかしのバルドラの野原に一ぴきの蠍(さそり)がいて小さな虫やなんか殺してたべて生きていたんですって。するとある日いたちに見つかって食べられそうになったんですって。さそりは一生けん命にげてにげたけど、とうとういたちに押えられそうになったわ。そのときいきなり前に井戸があってその中に落ちてしまったわ。もうどうしてもあがられないで、さそりはおぼれはじめたのよ。そのときさそりはこう言ってお祈りしたというの。
 ああ、わたしはいままで、いくつのものの命をとったかわからない。そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだを、だまっていたちにくれてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらんください。こんなにむなしく命をすてず、どうかこの次には、まことのみんなの幸(さいわい)のために私のからだをおつかいください。って言ったというの。
 そしたらいつか蠍(さそり)はじぶんのからだが、まっ赤なうつくしい火になって燃えて、よるのやみを照らしているのを見たって。いまでも燃えてるってお父さんおっしゃったわ。ほんとうにあの火、それだわ」。

グスコーブドリの伝記  (青空文庫)
短編。イーハトーヴの森で幸せに暮らしていた少年・グスコーブドリだが、飢饉(ききん)が原因で両親が蒸発し、妹・ネリが人攫いにさらわれてしまう。
「みんながあんなにつらい思いをしないで沼ばたけを作れるよう、また火山の灰だのひでりだの寒さだのを除くくふうをしたい」。
尊敬するクーボー大博士の推薦で、「火山局」で働き始めたブドリは、親切なペンネン老技師と出会う。冷夏による凶作を何とかして防ぎたいブドリは、ある決心をする…。
「私のようなものは、これからたくさんできます。私よりもっともっとなんでもできる人が、私よりもっと立派にもっと美しく、仕事をしたり笑ったりして行くのですから」──。
不幸な境涯にもかかわらず、悲嘆することなく前向きに生きる主人公の姿に感涙。犠牲的精神が感動を呼ぶ秀作童話。涙が止まらない…。「雨ニモマケズ」の詩も併せて読みたい。

虔十公園林  (青空文庫)
掌編。いつもはあはあ笑いながら森や畑の中を歩いている虔十(けんじゅう)。家の裏の野原に松を植えた虔十は、皆の嘲笑にめげず、立派な松林に成長させる。格好の遊び場ができた村の子供たちは大喜び。子供らの幸せのために信念を貫いた虔十の偉大さに加え、虔十に理解を示した家族も素晴らしい。幸せとは何かを問う。

植物医師 郷土喜劇  (青空文庫)
掌編。戯曲。植物病院を開業した植物医師・爾薩待(にさつたい)。枯れた陸稲(おかぼ)のことで相談に来る農民たちに、「それは針金虫の害です。亜砒酸をおかけなさい」と、まるっきり同じことを言って診察料を稼ぐ彼だが…。みんな寛大な人ばかりで良かったね。

セロ弾きのゴーシュ  (青空文庫)
短編。音楽会の練習をするセロ弾きのゴーシュだが、楽長に下手だと叱られてしまう。毎夜、ゴーシュの家にやって来る動物たち…。「だってぼくのおとうさんがね、ゴーシュさんはとてもいい人でこわくないから行って習えと言ったよ」──。動物たちとの交流を通して、音楽的だけでなく人間的にも成長していく様子が微笑ましい。好編。

注文の多い料理店  (青空文庫)
掌編。猟の途中、山で迷子になった二人の紳士は、西洋料理店「山猫軒」を発見する。その店は、廊下と扉が連続するヘンテコな構造の店だった…。「ことに肥った方や若い方は、大歓迎いたします」!? 「壷のなかのクリームを顔や手足にすっかり塗ってください」!?? ──怖くて楽しいユーモア・ホラー小説。

ツェねずみ  (青空文庫)
掌編。「ツェ」という名前のねずみは、「いたち」や「柱」や「バケツ」から親切にされるが、その親切を逆恨みした挙句、「償(まど)うてください」と請求する始末。皆から嫌われてしまった「ツェ」は、「ねずみ捕り」の好意で、餌を貰うが…。感謝の大切さを描いた教訓童話。

毒もみのすきな署長さん  (青空文庫)
掌編。「毒もみをして魚をとってはなりません」──。国の法律を破って、魚を捕る者が現れた。「子供らが、あなた(署長さん)のしわざだと云いますが、困ったもんですな」、「そいつは大へんだ。僕の名誉にも関係します。早速犯人をつかまえます」──。裁判で死刑となった犯人のあっけらかんとした態度が何とも凄い! 感服!?

どんぐりと山猫  (青空文庫)
掌編。山猫から「面倒な裁判があるから来て」というおかしな葉書をもらい、大喜びの一郎。自分が一番偉いとそれぞれ主張するどんぐり達に手を焼く判事・山猫。「裁判ももう今日で三日目だぞ、いい加減になかなおりしたらどうだ」。山猫から助言を求められた一郎の解決策は? 読後、幸せな気分になれる童話。お気に入り。

なめとこ山の熊  (青空文庫)
短編。「この次には熊なんぞに生まれなよ」。生計のため仕方なく、なめとこ山の熊を殺す猟師・淵沢小十郎。熊の皮と胆をタダ同然で仕入れる荒物屋の主人の卑しさ…。こういう形でしか救われないラストは、悲しすぎる、つらすぎる…。熊と猟師の心の交流を描く秀作童話。「銀河鉄道の夜」の中に出てくる「さそり」の話も要チェック。

猫の事務所  (青空文庫)
掌編。猫の歴史と地理を調べる猫の第六事務所。同僚の虎猫たちから嫌がらせを受け、泣き出してしまう四番書記のかま猫だが…。ヘンテコで暢気な仕事ぶりが何とも滑稽。お役所体質を見事に風刺。天下りのための特殊法人も、獅子の一声で何とかならないかな。

茨海小学校  (青空文庫)
短編。火山弾と浜茄を採りに茨海(ばらうみ)の野原に出掛けた私(農学校の教師)は、茨海狐小学校に迷い込み、成り行きで狐たちの授業を参観することに。人間が云う狐のよく捕れる罠とは?(修身と護身の授業)、人間を利用した養鶏奨励の方法は?(狩猟の授業)。「殊に若い鶏の肉ならば、もうほんとうに軟かでおいしいことと云ったら」。ヘンテコな授業がすこぶる楽しいユーモア小説。結局のところ、茨海小学校の教育方針は…(笑)。

祭の晩  (青空文庫)
掌編。秋のお祭りに出かけた亮二は、無銭飲食をした大きな男が、村の若者になじられている現場に出くわす。男が正直者で悪い人ではないと思った亮二は、男を助けてやるが…。 「薪をあとで百把持って来てやっから、許してくれろ」──。心が洗われる素敵な童話。

山男の四月  (青空文庫)
掌編。「さあ、飲むよろしい。これながいきの薬ある。さあ飲むよろしい」。木こりに化けて町へやって来た山男だが、薬売りの中国人・陳にだまされて、体を小さくされて、薬にされてしまう…。 「助けてくれ、わあ」。のん気で心優しい「山男」を描いたユーモア・ホラー童話。

雪渡り  (青空文庫)
掌編。「堅雪(かたゆき)かんこ、凍(し)み雪しんこ」──。雪がすっかり凍った森の中で、小狐(こぎつね)の紺三郎と出会った四郎とかん子の兄妹。「私らは全体いままで人をだますなんてあんまりむじつの罪をきせられていたのです」、「そいじゃきつねが人をだますなんて偽(うそ)かしら」、「偽ですとも」。雪の凍った月夜の晩、狐の幻燈会に招待された二人は、狐の作った黍団子(ぎびだんご)を出されて…。「食うだろうか。ね、食うだろうか」──。分かり合うことの素晴らしさを描いた感動童話。最後の一行も優しさに溢れていて素晴らしい。涙腺が…。



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