このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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国道14号線
千葉駅前末端区間


千葉県千葉市中央区
平成22年7月31日 来訪



余裕ある上下線分離型の四車線道路。
この道は国道14号線『千葉街道』。
画像は千葉市稲毛区付近。
かつては街道沿いが海岸線であったのだが、戦後埋め立てによりはるか遠くまで追いやられ
そこに幕張新都心や稲毛団地が出来て千葉市の中核地域となっている。
R14は首都圏の道路交通ネットワークの千葉方面を担う重要幹線道路なのである・・・のだが。


大型車が大量に行き交う幹線道路からヒョロっと分岐していく頼りない道。
こっちが天下の二桁国道R14だ。
直進は国道357号線。
異様に幅広い歩道が、かつて本線だった道が路線改良により2級の道にランクダウンさせられてしまった事を物語る。
ぶっちゃけ、先ほどの高規格道路としての姿もR14が東京湾周回道路であるR357に間借りしていたのに過ぎない。
ただ、一応R14が二桁国道であるが為、重複区間にて優先して道路番号を名乗っていたようなものだ。

とは言え、分岐した後も先ほどよりちょっぴり寂しくなったが4車線の立派な道。
青看に16号経由の柏と51号経由の成田方面への表記がある。


千葉市が誇る懸垂型モノレール営業距離世界一の千葉モノレールが頭上をいく。
モノレールに沿って右折すると千葉市役所へ行けるせいか、この辺から再び交通量が増える傾向がある気がする。

新町交差点。
県内最大のターミナル駅である千葉駅前とあり大変賑やか。
柏、四街道、京葉道路方面へは左折して駅下を潜る地下道を通るように推奨されている。
警告その一。

そごうの立体駐車場横通り過ぎ、いよいよ問題の区間へと差し掛かる。
京成千葉線の高架手前の青看が怪しげな表記を・・・

微妙に本線と繋がっていないR14。
しかも、なんか細い。



警告その二。

鉄道高架下。
青い吉野家を避けていくように大通りは急なカーブで左にそれて行く。
そして、そこから分岐・・・と言うよりただくっついているだけのようにも見える駅前商店街通り。
こっちがR14だ。

一方通行です。

これが千葉と東京を結ぶ大動脈、千葉街道。
基点の日本橋より西進してやってきた果て、このような繁華街へたどり着く訳だ。
ちなみにこの画像を見ると人通りが少なく見えるが、撮った時間帯が早朝だったからである。
居酒屋、カラオケ店、ラーメン屋が立ち並び時間帯によっては、車両で入る事を躊躇われるほど人ごみであふれかえっている。
何も知らない人が国道だと思って入り込むとエライ事にる。
もっとも、自分はかなり最近までここが国道だと言う事に気付いていなかったが。

国道14号線一方通行区間は約250mほど。
どこかに国道として証明する物は無いかと一生懸命探してみる。
しかしデリネーターやポールなどは無く、街灯の管理も千葉市が行っており「国土交通省(もしくは建設省)」といった刻印は何一つ無かった。
R418不通区間、かつてのR289甲子登山道区間でさえ国道の痕跡があったと言うのに(甲子峠は特殊だが)、R14一方通行区間はそれ以下だというのか?

一通区間出口。
青看にまるでポッと現れたかのように「R14」の表記がされている

一通区間のラストは小さな橋になっている。
葭川を渡る富士見橋。
かつては繁華街向こうに富士山が見えたのであろうか?
延長より幅員の方が長い。
昭和61年製の小奇麗だが味も素っ気もない橋。
一応、主要街道の橋な訳で案外、昔は煉瓦や石材の洒落た橋だったりしたのかも。

交差点渡ると一気に四車線に復帰。
しかし何故だろう、あまり国道って感じがしないんだよな・・・。
ローカル使用の都市区画道路って雰囲気。
実際のその様な使われ方で交差点待ちする車も地元ナンバーばかり。
街道としては完全にぶった切られている。

振り返れば赤地に白線の標識が立ち並ぶ。
一通表記が記載されていない簡易地図を持って成田方面から来た車両は大いに戸惑うはず。
まさか国道が一方通行だとは思うまい。

青看板にもでっかく一通マーク。
ただ右折して次の信号を曲がれば鉄道高架下で分岐した道に合流して一通区間を迂回できる。

一通区間抜けて200mもすれば千葉街道の終点、広小路交差点に到着。
この交差点は千葉街道だけでなく東金街道(R126)や佐倉街道(R51)等、県内各地に向かう街道の基点となっている。
現在の広小路交差点周辺は、市街地外れと言った落ち着いた雰囲気の場所だが、これだけ主要な街道が集結している場所としてはやや寂しい。
現在、駅前を中心に栄えている千葉の街だが、かつてはこの交差点付近はもっと栄えていたのではないかと予想してみた。

そこでちょっとググって情報を収集。

うん、やっぱりそうだ
参照したのは このサイト

画像にカーソルを置いてもらうと、かつての街道と鉄道のラインが表記される。

かつての市街地は現在より内陸寄りで、広小路交差点周辺も最も今よりずっと栄えていたようだ。
鉄道の方に目を向けると官鉄(国鉄)千葉駅は現在より北東の位置に存在し、後に内・外房線となる房総線は成田方面から分岐をしていた。
町外れに位置していた官鉄に反し、京成の方は市街地中心に足を伸ばしていて、官鉄を押しのけ帝都と千葉を結ぶ主要路線であったに違いない。
現在JRに客を取られローカル線的な扱いを受けている現在の京成千葉線の姿からは想像もつかない。

鉄道と街道、官鉄と京成、これらの立場が現在とまったく逆であった戦前の千葉。
これが戦争末期に米軍より空襲を受け町が焼け野原になった事により、一気に町の姿が変わってしまったのである。
上記サイトに詳しい内容が記述されているが、要約するとこんな感じだ。

  • 戦災復興計画により大規模な区画整理が行われる。(京成線が現在のルートに)

  • 昭和33年に国鉄が房総と東京のアクセスを改良する為に現在の位置に千葉駅を移動、ルートも現在の形になる。

  • 結果、市街地が駅方面に移動。

つまり戦災によって街道中心に出来ていた街がすべてリセットされてしまい、駅を中心とした街づくりに変わってしまったと言うことだ。
また近年になってR357や京葉線の開通により街が少しづつ海寄りにシフトしつつあり、更に市街地迂回路としてR16バイパスが京葉道路に沿って作られ、旧市街地の賑わいはすでに過去のものとなってしまったのである。

この事から海沿いから寂れてしまった旧市街地へ向かうR14は正直、国土交通省的にどうでもイイ道になってしまっているのではないか?
繁華街に挟まれてしまい拡幅も出来ず、一方通行にしか出来ない道をそのまま国道として放置している辺り、そんな印象をうけてしまう。
R14の末端区間は時代に取り残された あだ花のような道。
そんなR14の存在感を表すような悲しげな事実が次の画像だ。


R126東金方面からの青看。
左折の道には、ただ千葉駅方面への方向をさす白矢印のみ。

R14は国道として否定されていた。


ああ、千葉街道・・・。


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