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天城峠隧道 
静岡県伊豆市〜河津町(旧国道414号)
2005・12・18 来訪
   

「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、
雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。」

小説「伊豆の踊子」の出だしはこの一節から始まる。
天城峠旧道にはダートのままの路面、古い石垣の法面等、小説の時代そのまま景色が残っている。
特に峠のシンボル「天城山随道」は国の重要文化財として認められ、
今もなお多くの旅人が重厚なる石積み隧道道を潜り抜けている。

2005年12月18日、
この冬一番の寒波が日本列島覆う中、何故か自分は天城峠へ向かっていた。

峠の麓の気温3度。
それなりの防寒対策をしてきていたので、それ程寒くは感じられなかった。
気温よりも雪が積もっていないか心配だったが、まったく降っていた形跡が無く安心して峠に向かった。
旧道への分岐の青看板。
観光シーズンともなるとあたり一帯大渋滞になりそうだが、この日はほとんど交通量は無かった。
やはり、天気が良くてもこんな冬日に来ようとする観光客は少ないようだ。
多少狙っていた事だが、ストレス無く自分のペースで進めるのはやはりいい。
休みの日ぐらい好きなように走りたい。
旧道入り口。
『酷道』お約束の警戒標識群。
「落石注意」=峠道にとってはグリーンな状態をさす。
「通行止め」とさえ表示されてなければいい。
一部には「通行止め」と書かれているほうがアツくなってしまう方もいるが。
分岐点から少しの間だけコンクリ舗装されているが、すぐにダートとなる。
非常にフラットで原チャリでも問題なく走れた。
 峠を少し登った所に『伊豆の踊子』の記念碑があった。
碑には前書き部分で乗せた小説の出だし部分と、作者である「川端康成」の肖像プレートが飾られている。
川端康成は19歳の時、伊豆を訪れ、それから8年後に『伊豆の踊子』を発表している。
小説内で「杉の密林」と表現されたように、山の斜面は鬱蒼とした杉林に覆われている。
しかも、今回訪れた際には殆どの木々が葉を落とし、枯れ木の枝が不気味に上下左右に伸びている様は、うごめく亡者のように見え怖かった。
とはいえ、携帯OKって所はさすが観光地です。
道は地形にそって、蛇行しながら峠に登って行く。
峠の伊豆市側はそれ程険しいといった感じがせず、以外とあっさり随道手前までたどり着いてしまう。
重要文化財、「天城山隧道」
標高708m地点に延長446mの隧道が貫かれている。
石積み隧道としては現存するもので最長。
隧道内部
坑内の端から端まで石造りで、建設当時の技術の粋を集めて造られたのだろう。
小説内で上から「冷たい雫が落ちてきてる」との表現があるが、
画像にカ−ソルを乗せてほしい。

ツララが出来てます
隧道内の気温、恐らく0度以下なんでしょう。
隧道河津町側。
こちらにはツララに関する警告文が。
1・2月の厳冬期にはもっと巨大なツララに成長するのだろう。
・・・ちょっと見てみたい。
伊豆市側に比べ、河津側はやや道が険しい。
キツイ傾斜とブラインドカーブが連続。
てかですね、この道21世紀直前まで正規の国道だった、てのが気になります。(2000年まで新天城トンネルが有料道路だった)
正直、遊びで通るのだったらかまわないけど、通勤・通学または仕事でこの道を使うってのはちょっとキツイぞ。
河津側源流部を渡る寒天橋。
ここらで路面がダートから舗装路にきりかかわる。
舗装路を直進すれば現道と合流できるが、あえてここは左折して旧道をトレース。
再び路面はダートへ。
だんだん、林道を走っているような感覚に陥るが、強固なコンクリ法面と落石止めの柵が旧国道である事を物語る。
この右手斜面下に現道が走っており、少しづつ高度を下げながら合流のタイミングを図る。
そして最後は、キツイつづら折れで一気に高度を下げ現道と合流。
その先、国道414号はグレードの高い道路となり峠を下っていく。
小さなトンネルを2つほど潜ったあと、ついに峠道の最終兵器ともいえる道路建造物が現れる。
巨大ループ橋
はっきりいって反則技である
地形なんか関係ナシ
高度な建築技術と膨大な費用によって、無理やり高度を上げてしまう。
まあ、有名観光地だし少しでも交通の便を良くしたいのだろう。

でもこの先、下田方面は1〜1,5車線のショボ道になってしまうんだが・・・。
(殆どの車が県道で国道135号方面に迂回する)

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