このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
新旧二つの隧道が隣り合ってならぶ安戸隧道。
旧隧道は車一台通るのが精一杯。
切り通しにするのも対して難しそうもない地形なのになぜもう一つの隧道を作ったのか。
その理由は?
酒匂川の北側をうねる様にして走る旧道と、南側の斜面をトンネルぶち抜いて高速移動をする現道。 あからさまに新旧の道路規格違いを見せ付ける二つの道が、ここ大野山入口信号手前で合流。 信号を越えると再びまた新旧二手に別れ、現道は『新安戸隧道』へと潜り込む。 当然、旧道も隧道へと入り込んでいく訳だ。 交差点で分岐直後は旧道も2車線ある訳だが・・・。 | |
隧道は完全一車線。 すぐ隣の現道の幅広トンネルと比べると、小さく見える。 現トンネルが出来たのが昭和41年。 高度経済成長期の真っ只中で、車の台数が爆発的に増え始めた頃である。 この国道246号のすぐ横に東名高速が走っているのだが、 困った事にここの区間(大井松田〜御殿場)が完成したのが昭和44年5月26日なのである。 東京〜大井松田、御殿場〜小牧はすでに完成していて、 安戸隧道があるここの区間だけが一番最後になってしまったのである。 他の区間が開通していた昭和41〜44年の3年間、このr246が東名高速未通区間の迂回ルートだった訳である。 はっきり言って一車線しかない旧・安戸隧道では100%賄いきれない。 恐らく当時の建設省は「大井松田〜御殿場」間の開通が間に合いそうも無い事から 大慌てでr246の改良工事を行なったと思われる。 現トンネルが昭和中期のトンネルの中でもズバ抜けて幅広な理由はそんな所もあるのだろう。 | |
旧・隧道へ目を戻してみよう。 安戸隧道の扁額。 やはり開通当時の県知事の字だろうか? 安戸隧道の開通は大正2年製とかなりの年代モノ。 | |
隧道内。 僅か37mの短い隧道である。 上部はコンクリが塗ったくられているが、下部には石積みの坑壁が残されている。 東京側半分は鉄骨と補強版に覆われている。 まあ、90年以上前に作られた物だし、だいぶガタがきているのだろう。 | |
東京側坑門。 静岡側が開通当時の面影が残っているのに対し、 こちらはコンクリが塗られ、のっぺりとした無表情なイメージを受ける。 しかし、薄っすらとだが扁額跡が浮かんでいる。 | |
坑門前はゴミ捨て場。 そういや ココ も坑門前がゴミ捨て場だったなァ。 | |
さて前述の通り東京側は補強されているのだが、 この補強の鉄骨もだいぶガタがきている。 もう鉄骨が錆だらけになっているし、よーく見ると上部が押しつぶされてきているんだよね | |
ここなんかもう、鉄骨がへし曲がっているし。 この旧隧道、周辺住民にとって国道を通らず山側と山北駅方面を往来する事が出来て非常に便利な隧道なのだ。 それゆえ結構交通量が多い 利用者の安全を考えると、もう一度補強工事しなきゃならないと思う。 | |
さて、この画像を見て思うのが、なぜココを切り通しにしなかったのかと疑問に思うことであろう。 デカイ山があるわけでもなく、距離も短い。 少なくとも新道開削時に旧隧道もろとも、スパッと切り崩す事も出来たはずである。 では何故ここが未だにトンネルを通しているのかと言うと この上に水力発電所用の放水路があるからである。 んで、この水力発電所(内山発電所)が大正7年完成で、 おそらく隧道開通時にはここに放水路が通る事も決定していたのであろう。 発電所は現在も稼動中であり、 ゆえにこの上の放水路も現役で、この場所を切り通しにするのは出来ない、と言う訳である |
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