このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
いわずと知れた東海道の超有名峠。
遠く昔は東海道一の難所と呼ばれた峠だが、いまや周辺部は観光地化。
さらに小田原方面から芦ノ湖へ向かう道が、
現国道一号、旧道、有料の箱根新道、ちょっと離れるが箱根ターンパイク、と四つもあったりする。
今回、古道と寄り添って走る旧道を使って峠を登ってみた。
現国道一号と旧道の県道732号線の分岐点。 現道をちょっと先へ行くと、箱根湯本の温泉街に入る。 そして、国道は堂ヶ島、小涌谷、芦ノ湯と点在する温泉地を拾うように峠を登って行く。 それに対し、旧道はただひたすら芦ノ湖方面へ最短距離をとって進む。 | |
上でも述べた通り、現国道は箱根湯本の中心部を行くが、旧道は温泉地の裏通りと言った感じ。 温泉旅館も点在するが、沿線の建物の殆どは一般住宅。 恐らく住人の殆どが観光関係者であろう。 全国各地から癒しを求め、多くの人々が箱根へやってくるが地元の人にとってここは生活の場。 | |
この橋を渡ると本格的に山岳道路となる。 ところで隣を走る箱根新道、橋脚なんか細くない? でかい地震が来たら一発で逝ってしまいそうなんだが。 | |
玉石の法面が歴史の古さを物語る。 明治、大正あたりに改修された時の物か? | |
木漏れ日がまぶしい杉並木。 その中を一直線急坂が走る。 愛車アプリオもいっぱいいっぱいになり、最大速度が20km程度しかでない。 この坂は「女転がし坂」と呼ばれ、乗馬していた女性があまりの急坂のため落馬してしまい亡くなってしまったそうだ。 かつての難所だった時代を物語るエピソード。 近代以前は、今のように気軽に旅に出られる時代ではなかったのだ。 | |
畑宿の集落。 旧街道時代は重要な休息地だったのだろう。 だが、集落前後の道が2車線あるのに対し、集落内は1〜1,5車線しかない。 しかも交通量が結構あるので走行には緊張を強いられる。(路線バスだって通る) | |
畑宿の集落から石畳の古道が分岐していく。 ・・・うーん、走ってみたい。 しかし、歩行者の散策路を原チャリで走るのはためらわれるし、何より階段等の車両通行にムリがある所で出てくるのも嫌だったのでとり合えずパスする。 ここでは。 | |
畑宿を越えると難所、箱根の七曲がりがスタート。 キッつい九十九折れが連続。 傾斜もかなりある。 ここでは、箱根新道と古道、旧道が交差しながら山を登っていく。 車両にとってもシンドイこの場所は、旧街道時代はそれこそ命を削って峠を越えて行ったのだろう。 | |
七曲がり頂上近くの展望台。 小田原の街並みと相模湾、遥か遠くには東京の高層ビル街が見えた。 吹きっさらしの展望台には、海から這い上がってくる突風が容赦なく叩きつけられる。 木の葉の渦が天空高く舞い上がっていった。 | |
展望台近くにはこの看板。 まー、たしかに走り屋さん達にとってアツくなってしまうヘアピンコースでしょう。 でもやはり事故が絶えなかったため、このような看板が立てられたのだろう。 しかし、この看板の落書きが物語るように警告は殆ど届くことなく、結局4月〜11月まで2輪車通行止めになってしまった。(550ccまで) | |
七曲がりを越えると道は緩やかな傾斜のストレートに入る。 その途中の広場には旧街道時代の面影を残す甘酒茶屋がある。 旅人達は厳しい山道の疲れをここで癒したのだろう。 名前のとおりおいしい甘酒と力餅を提供してくれる。 なるほど力餅、峠を越える力を与えてくれる餅。 昔の人も色々考えて商売してたんだなァ。 | |
二子山を右手に見ながら穏やかな道を進むと斜面の下に大きな池が見えてきた。 なにやら池のほとりで子供が遊んでいる。 なんかチャリンコで水面を走ってんよ。 池、凍ってんじゃん! 当然、氷の上だからまっとうにチャリに乗れるはずも無く、何度も何度もコケていた。(しかも一回、氷を踏み抜いて池の中に落ちている!) もー、見ているだけで寒そうだ。 ちなみにこの池、お玉が池と言い、関所抜けしたお玉と言う女性が打ち首になった後、この池でその首を洗ったと言う。 おーい、思いっきりいわくつきじゃん。 あいつら、そんな場所で遊んでんのかいw | |
芦ノ湖手前で現道と合流。 | |
道は山を下り芦ノ湖の脇を通る。 快晴の空、富士山が映える。 さて、この後再び登り坂に入り箱根峠を越え、静岡県に入る 峠の下りにて、私あずさ2号は暴挙に出た。 |
TOP > 総覧index > 旧道index | 掲示板 へ |
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |