このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
静岡と愛知の境を分かつ峠の一つである本坂峠。 東海道の裏街道の峠で、浜名湖にあった新居関所(今切関所)を避けるため女性が多く通行したと言う事から『姫街道』と呼ばれるようになったと言う。 この道を直線に進むと峠を一気に貫く延長1379mの『新本坂トンネル』へ至る しかしこのトンネルは2008年4月まで有料道路であり、それまで正式な国道であったのはここを左にそれていく細い道の方であった。 そして、この道先の峠の上には100年近く現役で通す古隧道が存在する。 | |
左側は旧街道で、右側が旧国道。 訪れた時点では、まだ国道であったのだが殆ど地元利用の通行があるだけで閑散としている。 | |
山間部手前にはトンネル通行に際しての高さ制限の標識が掲げられていた | |
バイパスをクロスするアンダー。 その壁には無数の落書き。 | |
峠道のガードレールにも途切れる事無く落書き続く。 全く持って酷い。 これ等痕跡は全て『峠の主』に引き寄せられた物である。 無論、『峠の主』も望んで引き寄せている訳ではない。 その威容(見る者によっては異様)から、様々な想像を生み出し、噂話に尾ひれがついて招かれざる客人を呼び寄せるようになってしまったのだ。 | |
両端より生い茂る植物。 も一度言うが、まだこの時は現役の国道。 この見通しの悪いカーブの先に「峠の主」がいる。 | |
本坂隧道。 大正4年開通の煉瓦隧道である。 1,5車線程の幅員であるが大正初期開通の隧道として割と広い幅員である。 隧道開通当時、本来メインルートである東海道には 前述のとおり浜名湖が立ち塞がっており、 昭和初期まで貧弱な木橋か渡船によってでしか渡れなかった。 こっちでも述べた が、大量輸送の主役であった鉄道も海沿いを走るため、 戦時に本土近くまでやってきた敵艦隊の砲撃に晒される恐れがあった。 この隧道も有事の為の軍事的なサブルートとして 輸送力を強化する為に開通させる必要があったのではないか? | |
扁額。 『隧』という文字以外かすれて見えなくなってしまっている。 | |
隧道横にある気味の悪い倉庫。 恐る恐る扉の向こうを見てみる。 | |
中に誰もいませんよ。 どうやらコレ『日本電電公社』の倉庫だったらしい。 上記公社は現在「NTT」と呼ばれる企業の全身。 つまり民営化前の通信を扱っていた機関の物である。 何故こんなものがあるかと言うと実は本坂隧道、車両を通す為だけの隧道ではなく、戦前の東京〜岡山間の通信用ケーブルをも通していたのである。 情報通信においては東海道よりこっちの方がメインルートだったのである。 ここに引かれた理由はやっぱり浜名湖に阻まれて引けなかったから。 | |
隧道前より振り返る。 愛知県の県界標識、 その横の日影に隠れるようにして日本電電の倉庫が鎮座している。 | |
愛知側坑口付近。 真新しい補強版に覆われ、元々の坑壁が見えない。 | |
中央部へ行くとようやく煉瓦の坑壁が現れるが、白化や亀裂が多数見られ、やはり100年近い年月の痛みは隠せない。 補強も止むなしか? 更に、見るに耐えない幼稚な落書きが幾多も連なっている。 | |
県警上等ですか。 そうですか。 | |
タイーホされますた。 静岡県警、ガンバレ。 | |
坑壁下部が不自然に綺麗なのは茶色のペンキで落書きをムリヤリ消した故。 個人的には霊がいると思おうが、いないと思おうが思想の自由であるし、 肝試しに来るのも人様に迷惑がかからなければ構わないと思っている。 第一自分も少なからず廃隧道へ赴くのは「怖いもの見たさ」ってのがあるし。 それに心霊サイトの管理人の中にも、最初は「霊」の噂で隧道へ行っていたのが だんだん「霊」の変わりに隧道の建造物としての魅力に「取り付かれ」 終いにゃ別コーナーで隧道特集を作ってしまったような所もある。 しかし、わざわざ山へ来て建造物(しかも文化財)に 汚損させて帰るという思考は全くを持って理解できない。 自己アピールならもっと有意義でスマートな方法があるだろうと。 なんだアレか?『公権力の所有物』にダメージ与えて反体制訴えたいのか? 『造反有理』 昔の中国の偉い人が言いました。 体制に反抗するには理由がある、と。 しかし、物言わぬ建造物を汚すほどの『有利』とはいか程のものであろうか? | |
静岡側坑口。 黒色煉瓦を基調とした美しい神殿の如き坑門だが 下部のペンキ塗りと無粋な警告ポスターが非常に残念である。 | |
静岡側扁額。 画像が暗く解りづらくなっているが、実物は愛知側よりはっきり『本坂隧道』と読める。 | |
右上には水を通す為の「プチ隧道」が。 | |
静岡側坑口付近。 石材の側壁に覆われた切り通しと、その奥に静岡の県界標識。 | |
新旧分岐から隧道までは結構な距離がある。 当然、その道程は曲がりくねった峠道な訳で、新道が有料道路だった時代も250円(普通車)ケチってまで迂回しようと言う車は殆どいなかった。 | |
そんな交通量の少ない道だから、隠れて山中に不法投棄しようなどという不届き者も現れる。 隧道の落書きと言い難儀な存在の道である。 | |
古道『姫街道』と合流。 女性にとって厳しい峠越えより、浜名湖を船で越えるほうが俄然楽であったろう。 しかし江戸時代、東海道上の関所では女性の通行に厳しい規制がかけられていた。(幕府は大名の妻を人質として江戸に置かせていた為) 他にも東海道は人通りが多いので、その分犯罪に巻き込まれる可能性も高く、よって多少険しくとも安全な本坂峠を選んで通行していたのだ。 女性が気軽に旅行に出かけられる時代では無かったのである。 そう思うと江戸時代に流行った『 お伊勢参り 』は庶民、特に女性にとっては一生に一度の大イベントだったのだろう。 | |
麓へ近づくと、お茶畑の合間を縫うように道を進む。 なんというか静岡だなぁ。 | |
料金所前で新道と合流。 当然、今はこの料金所は無い。 さてはて、新トンネルの無料解放でついに旧道落ちした本坂隧道。 峠上部には人家も施設も無く、今後は封鎖と言う事もありあえる。 しかし、土木建造物の保護には定評がある静岡県と、 「あの」伊勢神隧道を今だ通行可能としている愛知県に存在している事もあり 今後も通り抜け可能のままである確立が高い。 ただ落書き君は何とかして欲しいなぁ・・・ |
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